「本当ね!」

 福田氏も応じる。

「当たり前だ!」

 その言葉を聞いた雅子さんは「わかった」と言った。一雄さんは言う。

「その日以来、雅子は最期まで弱音を吐きませんでした。女優として復帰する日を夢見て、後ろを振り返らず、ただ明日だけを見るようになりました」

 雅子さんの病で家族も変わった。母・スエさんは娘が芸能界で仕事することをずっと認めていなかった。女優として評価を高めたあとも、テレビや映画はおろか、雑誌記事すら目を通さなかったほどだ。自宅で女優の振る舞いをすることは絶対に許さない。ある日、撮影のあとに化粧を落とすのを忘れて家に帰ってきたときは、玄関に入れずに「出て行け!」と追い返したこともあった。

 それが、入院してから変わり始めた。きっかけは、医師から「病気になった時に、一番大事なのは『気』です。気持ちがしっかりしていれば、奇跡は起こります」と言われたことだった。

「その話があった後です。私が夜の12時ごろに家に帰ると、居間にポッと明かりが灯っていました。何をやっているのかなと思ってのぞいたら、おふくろがずっと雅子が出演したビデオを見ていましてね。『雅子って、演技がうまいんだねえ……』と言うんです。それからでした。雅子に『今はからだを休める時間。たくさん勉強しなさい』と言って、病室には常に本を2冊、そのほかにレンタルビデオ屋で借りてきた映画やドラマをずっと見せていました。雅子もとてもうれしそうでした」

 奇跡を起こすために、家族は懸命の看病をした。ただ、「不治の病」と呼ばれた急性骨髄性白血病の治療薬が進歩したのは、雅子さんが亡くなったあと。当時は効果の高い新薬が出始めたころで、副作用も激しかった。

 一雄さんも医師から新薬の説明を受けたが、『副作用で髪の毛は抜け、30%以上の確率で命を落とす』と言われたという。スエさんは「髪は女の命よ。女優なのに髪の毛がなくなるなんて、冗談じゃないわ」といって、新薬の治療に反対した。

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