逆に言えば、政治主導の人事が、官僚や族議員にとって如何に邪魔なものなのかが証明されたようなものだ。事務局の改革派メンバーは、自分たちの提案にますます自信を深めて、結束を固めた。さらに、マスコミに改革案とそれに抵抗する官僚の実態をリークすることで全面的なサポートを受け、その世論を背景に、人事局創設を含む公務員法改正案が自民党の総務会まで承認され、正式な改正案となったのである。ただし、その直後に自民党政権が崩壊し、民主党政権に移行したため、その法案が成立することはなかった。

■“安倍憎し”で内閣人事局をなくせと言いたくなるが……

 上記の改正案は、第2次安倍内閣誕生後、様々な骨抜き措置を加えられた後、ようやく日の目を見たのだ。

 ところが、安倍政権は、極めて強引な政治を強行し続けた。その過程で、官僚が無理な行政を遂行させられ、それに伴う情報の隠ぺいなどに積極的に加担する姿が白日の下に晒された。

 実は、安倍政権の下では、おそらく、内閣人事局など必要なかったと私は考えている。元々あった、国家公務員法上の大臣による公務員に対する人事権があれば、いかようにもできる。大臣は安倍総理の言いなりだから、それに指示すれば官邸主導人事など簡単に実施できるのだ。

 もし仮に、内閣人事局が諸悪の根源だという批判が正しいのであれば、内閣人事局をなくして、官僚の人事に官邸が介入することを止めれば正しい行政が行われるということになるはずだ。また、そもそも官僚人事に対する政治介入が悪だということであれば、大臣の人事権に制約をかければよいだろう。それによって正しい行政が実現するはずである。

 しかし、実際には、そうはならない。おそらく、官僚は、以前のように自分たちの利権、とりわけ天下りの仕組みを守るために、国民の利益を犠牲にして、必要な改革を止めようとするだろう。それを正そうとする政権が現れても、それには徹底的に抵抗する。昔の「官僚主導」の復活である。

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