名人戦第5局を前に、大山康晴・15世名人の記念館を訪れた佐藤天彦名人 (c)朝日新聞社
名人戦第5局を前に、大山康晴・15世名人の記念館を訪れた佐藤天彦名人 (c)朝日新聞社

 今年6月、初の名人防衛を果たした佐藤天彦名人。しかし、同時期に行われた電王戦の初戦、名人戦はともに初戦を落としていた。スランプに陥った名人が、「新しい」棋風を手に入れ、無事に名人防衛を果たすことができた背景にあったものとは……。著書『理想を現実にする力』でも明かしていた、名人流の試練の突破法とは。

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「最近、将棋をやっても全然勝てていないな」

 私にとっての2017年は、薄曇りのような感覚の中ではじまりました。

 2016年の12月までは好調な成績を出すことができていたものの、年が明けてからは非常に調子が悪かったのです。

 ちょうどその頃は、当時最強とされた将棋ソフト・ポナンザとの戦いが決まり、ソフトの貸し出しを受け練習対局を始めていたころでした。

 人間でない存在と対局をすると、とてつもないほどの新しい感覚が自分の中に流入してきます。自分の棋風も自然とその影響を受けました。

 しかしその結果、もともと自分が持っていた将棋の感覚のバランスが、どうにも取りづらくなるようになっていたのです。当時を振り返ると、感覚の乱れによって空回りして負けてしまった、そんな対局もあったように思います。

 そんなコンディションのまま迎えた4月。電王戦と名人戦の火ぶたが切って落とされました。結果は電王戦の初戦で敗北。その上、名人戦でも挑戦者である稲葉陽八段に破れ、開幕戦を落としました。思わず、

「私の将棋のよさとは何だったのか?」

 自分が今、地図のどこに立っているのかさえわからないような感覚に襲われました。

 舵を戻すように、自分の感覚を取り戻さなければいけない。とはいっても、そのための具体的な方法がわかっているわけでもない。暗中模索の日々が続いていました。

 勝負の転機になったのは、名人戦の第4局です。名人戦は全7局。先に4勝したほうが、名人の称号を得ることができます。この時の私の成績は1勝2敗。ここで敗れると、防衛は難しいと覚悟をしていました。

 しかし、結果は、難しい将棋ながらも勝利。第5局、第6局も続けて勝ち、名人初防衛を果たすことができました。

 この第4局以降何があったのか。

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