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向谷実「帰省ラッシュで列車の窓から乗り降りした時代もあった」

連載「僕が愛する鉄道と音楽」

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1963年、長距離列車に乗る客で混雑する新宿駅中央線ホームの様子。向谷少年もこんな光景を見ながら徹夜し切符を買っていたのだろうか (c)朝日新聞社

1963年、長距離列車に乗る客で混雑する新宿駅中央線ホームの様子。向谷少年もこんな光景を見ながら徹夜し切符を買っていたのだろうか (c)朝日新聞社

1966年1月 中軽井沢で (本人提供)

1966年1月 中軽井沢で (本人提供)

 お盆を迎え、帰省ラッシュが本格的に始まった。実家や行楽地に向かうため、新幹線や特急で長距離の移動をする人も少なくないだろう。そこで、鉄道音楽家として活動し、昭和30年代から鉄道に慣れ親しむ向谷実さんに、昔の長距離列車の思い出を語ってもらった。

【写真】スキーを楽しむ少年時代の向谷実さん

*  *  *
 夏休みの帰省ラッシュが始まりました。駅のみどりの窓口で切符を買い求める長蛇の列を見ると、昔新宿駅で切符を買うために、新宿駅西口広場に徹夜で並んでいた時のことを思い出します。

 徹夜までして切符を買うなんていうことは、今では記念Suicaや記念きっぷの類のものしか考えられなくなりましたが、昭和40年代ではそれが当たり前でした。徹夜してまで買うのは、特急や急行の指定席券です。指定席券は今では1カ月前になると買えるようになるのですが、当時は通常で、発売1週間前のさらに前日22時ぐらいまでに並ばないと指定席を取ることはできませんでした。かなり前もって買いに行かないと指定席が取れないなんていうのは、今ではサンライズ出雲など、一部の列車だけになりましたね。しかしそれでも、徹夜して並ぶなんていうことはなくなりました。

 なぜ、そこまでして指定席を買い求めるのか、もちろん自由席はありました。しかし、あまりの混雑で窓からしか乗り降りできないのが常でした。駅始発の列車の自由席を狙いに行く場合でも、一つのホームに同じような長距離列車が何本もくるので、ホームの上は人でごったがえしています。今では帰省ラッシュピーク時の東海道新幹線東京駅の、ホームの端のほうでのぞみの自由席車両に並ぶ列をイメージするとわかりやすいかもしれません。のぞみの場合は行き先がほぼ変わらないので、座れなくても次の列車でいいやというようになりますが、この当時は急行か特急かという列車の種別も、行き先もバラバラの列車が同じホームから発車していました。特に北に向かうほうでは、同じ青森行きでも東北本線経由なのか福島から山形・秋田に抜ける奥羽本線回りなのか、それとも常磐線経由なのかなど様々でした。

 結局ホームのあまりの人混みで、どの列がどの列車の列なのか特定できないので、自分の目当ての列車は前の日に行って並んでいてもあまり意味がありません。よほどの技を使わないと、狙った列車の自由席を確保することは困難でした。新幹線が当たり前の今では、席に座れなくても2、3時間ぐらい我慢すれば大体の目的地にたどり着けますが、この頃は仙台まででも約4時間、盛岡で6時間半、さらに北に向かうと7時間以上もずっと立ちっぱなしということになります。さすがにそんな思いはしたくないので、1カ月前に徹夜してでも指定席を買い求める人が多かったわけです。


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