歌舞伎名門「成田屋」と成田山新勝寺の深い関係

あなたの知らない神社仏閣の世界

歴史

2017/07/07 16:00

祇園会 (c)大本山成田山新勝寺
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重要文化財指定の仁王門
重要文化財指定の仁王門
額堂にある七代目市川團十郎像
額堂にある七代目市川團十郎像
重要文化財指定の三重塔
重要文化財指定の三重塔

 毎年、全国の初詣人出ランキングで明治神宮に次いで2位を獲得し続けているのが、千葉県成田の「成田山新勝寺」だ。創建は古く、平安時代に反乱を起こした平将門の調伏(ちょうぶく/魔物などを降伏させること)祈願のため、弘法大師自刻の不動明王を京都から成田の地に運び、護摩祈祷(きとう)をしたことに始まっている。

 将門の討伐後京都へ戻ろうとしたが、不動明王がまったく動かなくなり、これはお告げであろうと考えた人々はこの地へお堂を建て、「勝」の名を冠した寺名を建立した。

 余談だが、平将門は討たれたとはいえ東京大手町に首塚が作られ、神田明神の祭神として祀られている武将である。こういった経緯からか、「将門の子孫は成田山に足を踏み入れない方がよい」とか「藤原秀郷(将門を討った武将)の子孫は首塚や神田明神には行かない方が良い」「そうでなくても成田山と神田明神は同日に訪れるべきではない」などといった都市伝説が、まことしやかに語られている。

●屋号「成田屋」の誕生

 その後の成田山新勝寺は、源頼朝など源氏の祈願・寄進などもあって隆盛を見たが、戦国時代にはかなり荒廃、復興は江戸時代まで待たねばならなかった。大寺へと飛躍していったのは、徳川光圀や徳川綱吉、桂昌院などの寄進などに加えて、なんと言っても市川團十郎の信心によるところが大きい。

 市川宗家の屋号は「成田屋」。今では歌舞伎界で屋号を使うのは一般的だが、始まりは市川團十郎が上演した「成田山分身不動」での「成田屋っ!」という掛け声だった。「成田山分身不動」は、子宝祈願をした初代・團十郎が、成田山へのお礼を込めて上演した演目で、この舞台が大当たりしたことから成田山新勝寺の名は一躍江戸市中に広まっていったのである。

●不動明王の出開帳と歌舞伎

 この頃、江戸では仏さまが旅をしてきて、お寺とは別の場所で一般公開する「出開帳」というイベントが大人気を博していた。特に成田山新勝寺のお不動さまの出開帳は好評で何度も出開帳を行っているが、この開催期間にあわせ歌舞伎上演も行われ、やがて團十郎とお不動さまはセットで語られるようになる。

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