なぜ「逃げ恥」は“国民的ドラマ”になり得たのか? (2/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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なぜ「逃げ恥」は“国民的ドラマ”になり得たのか?

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「逃げ恥ブーム」は社会現象になった(c)TBS

「逃げ恥ブーム」は社会現象になった(c)TBS

 もともと、契約上の賃金労働として「妻」の役割がスタートしていたからこそ、ここにきて夫婦の一方が負担を抱えることの不自然さが浮かび上がる。「普通」の結婚に移行することで、みくりが正当に受け取っていたはずの賃金は、「愛情」のもとにうやむやになり、家事はどこまでも無報酬でみくりに負わされることになってしまう。ひとりよがりな平匡の提案に対して、それは「“好き”の搾取」であるとみくりは指摘する。

 この不均衡は、平匡とみくりにだけ浮上した課題ではなく、私たちの社会が抱え込んでいる既存の、ある種の旧来的な結婚観に通じる問題でもある。つまり「人ごと」ではないのである。契約結婚から真の愛情に発展するだけで、すぐさま幸せな結末を迎えるような簡単な展開を見せないのがこの物語の誠実さだ。

 みくりの指摘を受けて最終回で試行錯誤される二人の関係の「再構築」は、両者が対話を重ねつつ、目の前の状況に柔軟に対処する方向へと導かれていく。夫婦間に「役割」と「対価」をはっきり持ち込んだトリッキーな実験が、実はパートナーとの関係を根源から着実に見直すものになっていることに気付かされる。

●『逃げ恥』キャラの葛藤は、私たちと地続きのところにあった

 既存の価値観にまつわる悩みは、みくりの伯母で49歳のキャリアウーマン・土屋百合(石田ゆり子)と、平匡の会社の後輩・風見涼太(大谷亮平)をめぐる描写にもうかがえる。

 第9話、百合が手掛ける化粧品の広告の地域限定版が、彼女が守ってきたポリシーを大きく曲げるような、異性の視線を意識する「モテ」を強調したデザインにされてしまう。これは今年SNS上を賑わせた広告の炎上騒動を思い起こさせる、現実社会の「旧来の価値観」を映し出したエピソードでもある。

 「自由に生きる」ことをコンセプトにしてきた百合がその広告を取り下げるよう上司に講義すると、男性上司たちに「いまだに独身なのがわかる」「それもあって必死なんだ」と陰口を叩かれる。独身のキャリアウーマンであることによって受ける言葉には、やはり旧来的な結婚観や女性観からくる偏見がにじみ出ている。


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