セリでの「3」の示しかた。市場に働く人たちは、「とりあえずビール3つ」と注文する際にも、このしぐさをするとのこと(撮影/岩崎有一)
セリでの「3」の示しかた。市場に働く人たちは、「とりあえずビール3つ」と注文する際にも、このしぐさをするとのこと(撮影/岩崎有一)

「東京の台所」築地市場。約80年に及ぶ築地市場の歴史を支えてきた、さまざまな“目利き”たちに話を聞くシリーズ「築地市場の目利きたち」。フリージャーナリストの岩崎有一が、私たちの知らない築地市場の姿を取材する。

 築地市場内にあふれる発泡スチロール容器は、築地になくてはならない小道具のひとつだ。通称「ハッポウ」と呼ばれるこの容器の歴史は、そのまま築地市場の歴史とも呼べそうな、創意工夫の歴史だ。入れ物が紡ぐ築地の歴史に、岩崎が触れた。

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 魚だけではない。水も氷も海水も、缶コーヒーも弁当も、帳簿も写真もパソコンも、築地ではこれに入っている。通称「ハッポウ」。発泡スチロール容器(以下、発泡)は、築地市場に欠かせない入れ物だ。

 発泡の取り扱いを専門とする会社が築地市場には2社ある。東京空器株式会社と東京魚類容器株式会社は、ともに戦後間もなく創業した、古くから続く会社だ。

「自分が電話番をしなければいけないくらいの忙しさなので、ちょっと取材のご期待には応えられないです」

 私が初めて東京空器を訪ねると、社長の林勲さんが、申し訳なさそうに応じてくれた。突然押しかけてしまったことをおわびし退出しようとした私に、「戦前は、木製のトロ箱を使っていたそうですよ」と、林さんはそれでも、事務所の入り口で立ち話を聞かせてくれた。まず、林さんからお聞きしたお話をもって、築地の発泡の歴史をお伝えしたい。

 発泡が使われる以前は、木製のトロ箱(トロール船による漁で使われていた箱)や木樽が一般的に使われていた。例えば、三陸地方で揚げられた魚は、木箱や木樽に入れられ、築地市場内にまで乗り入れていた鉄道で運ばれてきていた。これらの容器は通い箱ではなく一方通行だったそうだ。

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