“冬の時代“に終止符を! 水谷隼率いる卓球男子「悲願達成」の重み…金メダルかけ中国と決戦へ (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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“冬の時代“に終止符を! 水谷隼率いる卓球男子「悲願達成」の重み…金メダルかけ中国と決戦へ

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シングルスで銅メダル獲得、団体でもエースとしてチームを決勝に導いた水谷隼。(写真:Getty Images)

シングルスで銅メダル獲得、団体でもエースとしてチームを決勝に導いた水谷隼。(写真:Getty Images)

 4年後の1992年バルセロナ五輪では、シングルス、ダブルスともに予選リーグ敗退と惨敗を喫した。1996年アトランタ五輪は、ダブルスで渋谷浩・松下浩二ペアが5位入賞を果たす。このペアは00年2月、マレーシア・クアラルンプールで開かれた世界選手権では団体戦3位で銅メダルを獲得。世界選手権のメダルは15年ぶりという快挙に光明が見えたかに思われた。ところが、同年9月のシドニー五輪ではシングルス、ダブルスともに大敗。最高成績でも、シングルスの3回戦進出にとどまり、期待を裏切った。

 突破口を見いだせない日本男子卓球チームに、さらなる悲劇が襲う。シドニー五輪の翌年、大阪が舞台となった世界選手権で、なんと13位に沈む。期待された母国開催で結果を残せず、さらに04年アテネ五輪でも、シングルス、ダブルスともに3回戦止まりと、五輪のメダルは一向に見えてこなかった。

 シドニー五輪で女子代表監督を務めた近藤欽司氏(現・日本リーグ女子1部サンリツ総監督)は、ともに世界で勝つことをめざした男子代表チームついて、「ソウルで卓球が五輪競技になって、卓球人としては大いに喜びました。ただ、メダルへの道のりは非常に険しかった。アテネまでは冬の時代と言えるでしょう」と話す。


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