そうした体操に懸ける強い思いが実を結び、今年の7月には初の五輪代表入りを果たした。かねてより「五輪は体操人生すべてを懸ける大会」だと話していた内山。憧れの五輪出場に関して「夢がかなった」とする一方で「ちゃんと“笑顔で”帰ってくるまでが目標」と話す。この言葉の裏には、2015年の世界選手権で味わった苦い経験がある。

 この大会で、内山は世界選手権初出場となるはずだった。だが当時左かかとなどを痛めていたことから、大会直前に、監督から補欠の村上茉愛との交代を言い渡される。すでに現地入りしていた、大会3日前のことだった。

 当時のことを、内山はこう振り返る。

「悔しいという思いが凄すぎて……けっこう苦しかったんですけど、地元の町田の友達が励ましてくれて。自分が悔しいのよりも、いろんな人に申し訳ないっていう気持ちでいっぱいでした。ただ、(代表の)みんなと一緒にいるときは、みんなを全力で応援しようという気持ちでいました」(内山)

 その世界選手権で、男子は悲願の団体金メダルを手にし、女子では内山に代わって出場した村上が個人総合6位に入る活躍をみせる。体操日本は歓喜に沸いて帰国したが、その一方で、内山は帰国翌日に練習場へ向かった。

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