戦後、戦艦長門を捕鯨船に転用する“計画”があった!? (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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戦後、戦艦長門を捕鯨船に転用する“計画”があった!?

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神奈川県横須賀市にある戦艦長門の記念碑

神奈川県横須賀市にある戦艦長門の記念碑

 北九州市若松区響町――ここに旧海軍駆逐艦「柳」「冬月」「涼月」の3隻が“軍艦防波堤”として外洋から打ち寄せる波を防ぐ“任務”に今なお就く。旧軍の遺物で戦後民間転用されたものはすくなくない。なかには今でもわたしたちにその姿をみせているものもある。

 太平洋戦争の終戦に伴い、旧陸海軍は解体された。旧軍の解体により、戦車、軍艦、戦闘機に銃器、はては軍服に至るまで、軍が持つものすべてが無用の長物となった。

 戦後の世になり、戦車は砲を撤去、武装解除してブルドーザーに。艦船は先に紹介した防波堤のほか、復員船や捕鯨船に。その他軍事兵器は溶かして鉄鍋にするなど戦後復興に役立てられたことは今ではよく知られている。軍服もスーツに仕立て直して着ていたくらいだ。

 軍艦の捕鯨船転用は、旧軍所有の「第一号型輸送艦」が知られる。戦後間もない頃、日本は深刻な食糧危機に見舞われていた。一刻も早く飢えた国民たちに食料を届けたい。大洋漁業(現在のマルハニチロ)の社員は捕鯨により食糧難を救おうと使命感に燃えていた。

 だが、捕鯨船は旧軍に徴用され壊滅状態だ。まずは船を調達しなければならない。そこで戦後しばらく残務整理を行っていた旧軍に捕鯨に使うための船の貸し出しを申し出た。

 申し出からしばらくして旧軍から貸し出し船の候補としてその筆頭に挙がっていた船名をみて驚いたのは当の大洋漁業の社員だった。その船名とは「戦艦長門」――。

 戦前、「長門」といえば姉妹艦の「陸奥」と双璧をなす日本を象徴する戦艦だ。真珠湾攻撃時には、連合艦隊旗艦でもある。戦後の今でこそ「大和」「武蔵」が知られているが、当時は軍の秘密扱いだったこの2隻は人々の間では知られた存在ではなかった。しかし、1920年(大正9年)の竣工以来、大正、昭和の世で圧倒的な存在感を誇った「長門」を知らぬ者はいない。戦時中、旧軍の艦艇が戦の果てに海に沈んだなか戦後まで生き残った数少ない戦艦だ。

 旧軍の事情に詳しい防衛省海上幕僚監部勤務の1等海佐が語る。


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