しかし、コンクリート製の防潮堤工事によって自然を失い、永久に美しい景観を損ねてまで巨大防潮堤は必要なのか、税金の無駄遣いではないのか…。津波の恐ろしさを経験しても、海とともに生きてきた遺伝子は負けず、防潮堤計画の見直しを求める声は一気に高まったのです。

 気仙沼を中心とした運動が成果を上げ、不必要と判断できた海岸への防潮堤計画を撤回したり、防潮堤の位置を内陸側に後退させて海への影響を防いだり、一部を可動式にして景観を守ったりする変更などが認められました。

 ですが、ほとんどは行政の計画通り工事が進むことになりました。結論が遅れるほど復興が遅れるだけでなく、壊れた家を直して住み始める人も増えたからです。さらに、地元自治体の負担がない復興予算には期限と限度があり、集中復興期間が終了する15年度以降は予算確保が困難になります。結局は、焦って結論を出さなければならず、「安心」を最優先させたのです。疑問を抱えながらも、気仙沼の防潮堤工事はこれから本格化します。

 私の仕事は情報の整理でした。地域ごとに条件も住民意向も異なるなか、一律の基準で計画を進めるのが困難になり、行政側も態度を軟化させたことで、その情報の共有が重要になったからです。説明会にはできるだけ足を運び、そこで感じた疑問を住民にも行政にも確認し、整理した情報をフィードバックしました。ブログでの情報発信のほか、防潮堤問題をまとめたレポートを作成して配布しました。正しい情報があれば、住民も行政も正しい判断ができると期待しました。

■あれから4年…

 いまだに防潮堤計画が決まらない地域もあり、問題は山積みなのですが、マイナスばかりではありません。市外から訪れたボランティアの皆さんが、地元民が気付かなかった気仙沼の良さを発見してくれました。「お刺し身が安くておいしい」「人情がある」「夜空がきれい」など、住民にとって当たり前だったことから価値を見つけ、定住してまちづくりを応援してくれる若者も少なくありません。全国の自治体などから市役所へ応援に来ている約200人の職員の皆さんも、なれ合いになりがちだった職場に新鮮な空気を吹き込んでいます。

 大災害を乗り越えて、住民の意識も変わりました。一番変わったのは、中学生や高校生たちです。勉強をがんばって難関大学に進学したり、まちづくりに参加したり、子供たちの世界は確実に広がりました。

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