●受信料の割高感をどうするか

 まず、受信料が高い。月額で地上契約が1250円前後、衛星契約が2200円前後である。他のチャンネルはテレビをつければタダで見られるというのに、NHKにはわざわざお金を払うことが義務付けられている。しかも、人によってはその局をほとんど見ないのに、である。これを理不尽に感じない人は、よほどの聖人である。

 筆者は子どもが生まれてからNHK・Eテレをよく見るようになって、NHKに対して抱いていた感情は大幅に改善した。子どもを楽しませ、教育してくれる番組の数々に感謝の念を抱き、歌のおにいさん・おねえさんを手放しで応援するようになった。しかし、それでも再放送が多いのはいただけず、娘がテレビの前にワクワク座って待っていた番組が、また再放送だったりすると「こっちは受信料支払ってるのに」という気持ちになる。予算などを踏まえた番組制作の都合上、再放送が多いのは仕方ないのかもしれないと頭では承知してはいるが、腹が立つ。

 なお、NHKには公共放送たる役割がある。公共放送というと、民放でやったら採算が取れなさそうで成立しないが国には必要な放送のことで、教育、福祉、災害情報、ニュースなどがこれに当たる。NHKはこの点しっかりやっているが、娯楽放送も多い。

 公共放送なのに娯楽放送もたくさんやっているところが問題なわけで、経済評論家の塚崎公義氏はダイヤモンド・オンラインの記事にて「ドラマ等は切り離して民営化すれば良いだろう」と書いていた。嘉悦大学の高橋洋一教授は、NHKを公共部門と民間(娯楽)部門に分割すれば受信料は劇的に安くなる、と指摘している。

 だからNHKは公共放送とは何かを今一度よく考える必要がある。受信料を下げず、娯楽部分も捨てずに保持するつもりなら、“わざわざ有料”という印象が強い。他局に比べて損をさせている感が強いマイナスからのスタートを跳ね返す、ものすごい娯楽性が必要である。

 たとえば、討論番組では毎回必ずプロレスさながらの取っ組み合いが起こる――ここまでやってくれれば「NHKってすごい」と多くの人が認めるのではなかろうか。そのうち出演するメンツが定着して、それぞれのファイトスタイルも「一度つかんだら離さないA先生」「容姿について言及されると狂暴性を発揮するB先生」という具合に認知されていくことが期待できる。それは娯楽がウリの民放各社ではなく、真面目一徹で娯楽が不得手なNHKがあの独特な緊張感の中でやるからこそ面白くなる。こうしたことの積み重ねがあれば、「高い」と感じさせられていた受信料にいくばくかの説得力が出てくるであろう。

 冗談はこれくらいにして、NHKの娯楽放送がどれくらい必要とされているかという議論に関してはもう少し詰める必要がある。エネルギーみなぎる若年層の支持を最大公約数で集めているとはいえなくても、高齢化社会の日本にあってお年寄りのお宅にお邪魔すれば、盛んに映されるのはやはりNHKであり、特に祖母はNHK関連のドラマを生きがいのように楽しみにしている(ドラマは全年齢層が楽しめる、NHKが誇るキラーコンテンツとなっている)。「民放のガヤガヤした雰囲気が好きではない」や「むしろNHKの作り込んだ番組こそ面白い」という理由で、民放は見ないがNHKは見まくるという若い世帯もある。

 コメディー要素が必要とされないドキュメンタリーなどの番組には当たりが多いのも事実であり、最近では「チコちゃんに叱られる!」が、コメディー要素を前面に押し出した娯楽系コンテンツとして人気を博している。だからNHKにもがんばっている部分があり、これについては後にもう少し詳しく触れたい。

 公共放送に娯楽部分は必要でないとする考え方も正であり、その場合は塚崎氏が提言しているように公共放送を国営、娯楽放送を民営化するのがよろしかろう。これならば現在のNHKの娯楽放送についているファンを悲しませることなく、スリム化によって受信料が下がり、視聴者としては万々歳である。

 民放各社のニュース番組は、ここ最近ワイドショー化と政治的メッセージ性が強すぎる番組作りが加速していて、ひどく下品なことになっているが(個人的にあれはインターネットに押され気味なテレビ、その上層部のやけくそだと思っている)、公共放送たるNHKになら事実に中立で冷静なニュース番組制作ができるはずである。NHKはそこを矜持(きょうじ)として、真の公共放送としての品格を取り戻していけばよろしい。健全で素晴らしい道筋である。

 しかし現状、NHKが“公共放送”の語を用いるのは、受信料制度やスクランブル放送について突っ込まれたときの言い訳としてのみなのが、はたからみていて惜しい限りである。 

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諸悪の根源“集金システム”