当初、リチャード・ギアは出演依頼を断ったのだそうだ。しかし、彼の自宅に監督のゲイリー・マーシャルとジュリア・ロバーツが一緒に訪れて説得し、主演がかなったとのことだ(この映画でのジュリアの出演料は30万ドルだったが、現在では一本450万ドル以上になっている)。

 リチャード・ギアが出演を断った脚本というのは、ヴィヴィアンが麻薬中毒という設定はジュリアが言ったとおりだが、エドワードにはニューヨークに恋人がいて、ヴィヴィアンと“契約”するところまでは変わらないものの、は虫類のような性格で、売春婦のヴィヴィアンを終始見下し、一週間分の報酬も“くれてやる”ような男に描かれていたらしい。

 エドワードは恋人が待つニューヨークに戻るが、残されたヴィヴィアンは再び街角に立って客引きをし、揚げ句は薬物中毒で死んでしまう――、というエンディングだった。これは、映画の冒頭で登場するスキニー・マリーだ。

〈スキニーはヤク中のフッカー(売春婦)だった。街角に立って、コカインと交換条件で寝てた〉

 映画が『3000』の脚本で制作されていたら、『プリティ・ウーマン』ほどのヒットを飛ばしただろうか――? オリジナルのほうがより現実的な物語のように感じられはするが、オリジナル原作のままだったら誰もこの物語に共感することも、ヴィヴィアンの逆転した人生に思いを馳せることもしなかっただろう。ジュリア・ロバーツだってこんにちの名声を得られなかったかもしれない。

 この映画が公開されたとき、“できすぎてる”“あり得ない”と批判する向きもあった。だが、映画はやはりハッピーエンドがいい。娼婦にまで身を沈めたヴィヴィアンが、子どものころから憧れていた騎士に手をさしのべられるようなシンデレラストーリーがあってもいいではないか。

 まだ『プリティ・ウーマン』をご覧になっていない方は是非このGWに。特に若い方は。情熱的なロマンスを学ぶ、いい機会です。最後に、映画のエンディングを飾るエドワードとヴィヴィアンの台詞を紹介して終わりにしましょう。

「騎士が塔をよじ登ってきみを助けたら、その後はどうなる?」
「もう二度と離れない」

 でも、本当は、ハッピーエンドの先が大事なのですけどね。

参考記事:vogue.com2014年10月30日付、Techinsight4月13日付、シネマトゥディ2012年1月12日付・2017年4月24日付他

(ノンフィクションライター 降旗 学)