ただ、「ブラック企業」という批判に関しては、スタンダードな対応は通用しないということがワタミによって明らかになった。今年1月、就任前の清水社長は、日本経済新聞の取材に対して、「世間のブラック企業との批判を真正面から受け止める必要がある」と、ユニクロの柳井会長の後を追いかけるような姿勢をみせはじめた。

 ユニクロはトップがいち早く「反省」と「改悛」を見せた。ワタミは2年間ほど「事実ではない」とつっぱねたが、いよいよ耐えきれなくて「反省」を見せはじめた。この2社の差を乱暴に言ってしまうと、最初に非を認めたか、追いつめられて非を認めたのか、という違いだろう。

 では、なぜワタミはユニクロのような対応をとれず、経営にダメージを与えるほど被害を拡大させてしまったのか。企業文化などもあるが、個人的には、創業者が政治の世界に入ってしまったことが大きいと考える。

 ユニクロは創業者の柳井会長が「反省」をしてさまざまな対策を打った。それが実際に効果を出しているか否かは別として、「生みの親が問題解決のために動いている」ということは世に伝わる。これがブランドイメージの毀損を防いだ部分も否めない。

 しかし、ワタミの場合、渡辺氏は指摘を否定するのみで、「反省」も口にしなければ対策を打つこともない。すでに会長職を退いているので、柳井会長と立場が違うということもあるが、このような立ち振る舞いになってしまうのは、実は渡辺氏が「政治家」であることが大きい。

●渡辺氏は政治家になったことで「反省」できなくなった

 ご存じのように、政治家は謝ったら終わりだ。秘書がやったので知らない、不適切な会計だがすでに修正した、などなど、責任を問われても「遺憾に思う」なんて、まるで他人事のような発言に終始するのは、政治家が自らの非を認めて頭を下げるということが、すなわち政治生命の終わりに直結するからだ。

 もし渡辺氏が柳井会長のように「ブラック企業のような部分もあった」なんて頭を下げようものなら、まず共産党やら民主党が騒ぎ出す。渡辺氏を公認候補にした責任を取れとかなんとか。事態が大きくなれば、国のブラック企業対策にも大きな影響を及ぼす。

 つまり、「公人」になってしまった渡辺氏は、もはや本人の意思とは関係なく、そうおいそれと非を認めることができない立場になってしまったのだ。

 もしユニクロのように、生みの親が改悛して非を認めることが、「ブラック企業」のイメージを払拭するとしたら、3代目社長の清水氏がどんなに頭を垂れても改悛の姿勢をみせようとも、ワタミのイメージがよくなるとは思えない。渡辺氏の参議院議員としての任期は19年まで。果たして、そこまでワタミはもちこたえることができるのか――。

 ワタミの滑落は、渡辺氏が金バッジをつけた時から、もはや避けられない運命だったのかもしれない。