混雑する三条通りの併用軌道を通過して、市中に出る乗客が待つ太秦駅に到着した四条大宮行きの嵐電。洛西の秋空に広隆寺楼門の伽藍が浮かび上がる。(撮影/諸河久 1975年11月22日)
拡幅された三条通りの併用軌道を走り去る四条大宮行きの嵐電。余談であるが、この撮影地の左側(北側)に島津製作所本社が所在し、ノーベル化学賞受賞者の田中耕一氏もかつては嵐電通勤者だった、というエピソードが残っている。山ノ内~三条口(現・西大路三条)(撮影/諸河久 1975年11月22日)
凛とした軌跡を残してファインダーの中を通過した四条大宮行きの嵐電。トロリーホイールの余韻が今も記憶に残る。嵐山~嵯峨駅前(現・嵐電嵯峨)(撮影/諸河久 1975年11月22日)
新緑の嵐山を背景に嵐山駅を発車した四条大宮行きの嵐電121型。画面右端では次発の111型が発車を待っていた。当時の嵐電は丸型の終端駅で裏返す構造の方向板を使用していた。「コダック・エクタクロームX」カラーリバーサルフィルム(ISO感度64)で撮影。(撮影/諸河久 1968年3月31日)