「東京オリンピック」を迎える1964年正月元旦の日比谷公園停留所風景。200mmレンズのフレームの中に、斜光を浴びた5系統の都電が浮かび上がった。(撮影/諸河久:1964年1月1日)
日比谷交差点の近景。背景の日比谷三井ビルは「東京ミッドタウン日比谷」になり、左手前の三信ビルは「日比谷マリンビル」になった。(撮影/諸河久:2019年12月23日)
故障した都電を牽引して新宿車庫に向かう救援電車。めったにお目にかかれない光景だ。路上にはダイハツオート三輪トラックやセドリックタクシーなど、昭和時代の自動車が走る。日比谷公園~桜田門(撮影/諸河久:1965年2月21日)
半世紀経った晴海通りの近景。背景の画面中央に位置する警視庁丸の内警察署が建て替え中で、左端の「第一生命館」だけが往時の姿だった。手前が「日比谷トンネル」で、計画当初は三原橋から桜田門に抜ける自動車専用道路となる予定だった。(撮影/諸河久:2019年12月23日)
皇居の杜を背景にして晴海通りを走る11系統月島新佃島行き都電。その後ろを9系統浜町中ノ橋行きが続行する黄昏時の一コマ。桜田門~日比谷公園(撮影/諸河久:1964年5月20日)