荒川沿いにくると、故郷の長野県を出て夫と染色工場を始めた「おばあちゃん」の姿を、はっきりと思い出す。苦労続きだっただけにその言葉はやはり重い(撮影/狩野喜彦)
慶大の体育会庭球部で4年生を迎えるとき、女子部のコーチをして組織運営を経験して、人の話をよく聞くことを身に付けた(撮影/狩野喜彦)