豊臣秀吉/信長に家臣として登用され、信長の死後は徳川家康らライバルを押さえて後継者になった。後に、五摂家(ごせっけ)以外で初めて関白となる。東京大学史料編纂所所蔵模写
太閤桐(たいこうきり)/秀吉が桐紋をもとに新たに作成した家紋で、他にも変化形がある
醍醐三宝院唐門(だいごさんぼういんからもん)/秀吉は、慶長3年(1598)、醍醐寺(京都市伏見区)で、諸大名を集めて一世一代の花見を催した。そして、貢献した当時の醍醐寺座主(ざす)・義演(ぎえん)を援助し、醍醐寺の伽藍(がらん)を再建した。慶長4年完成の三宝院唐門もその一つで、「菊」と「五七桐」の家紋が透かし彫りされ、金箔が施ほどこされた。国宝
毛利元就/謀将として恐れられ、わずか一代で中国地方の大半を領有するまでになった。子孫には天下を望まぬよう言い残すなど、慎重な姿勢を示す一方、四国、九州にまでたびたび侵攻していた/東京大学史料編纂所所蔵模写
長門(ながと)三つ星/三本の矢の有名なエピソードにちなんでいるといわれるが、それは誤りである