自ら撤回できず、さぞかし無念だったと思います。
翁長雄志沖縄県知事が、8月8日、逝去しました。
自民党の沖縄県連幹事長も経験した保守政治家であるにもかかわらず、翁長氏は辺野古基地建設反対を掲げて2012年11月の知事選で当選。その後、沖縄の人々の先頭に立ちながら日本政府に対峙し続け、亡くなる直前まで自身の信念を貫きました。沖縄はもとより、辺野古の基地建設に反対する日本中の人々が、今、翁長氏を想い、悲しい気持ちを抱えながら、次なる一歩をどのように踏み出そうかと考えています。
翁長氏の急逝を知ってから3日がたちました。時に翁長氏と会話を交わす機会もありながら沖縄の基地問題に関わってきた私も強い衝撃を受けました。
私は、翁長氏の那覇市長時代から、日米外交には沖縄の声が届いていない、沖縄が自らの声を自分でワシントンに届けねばならない、と翁長氏に訴えていました。そして知事選への立候補を決意した翁長氏に、当選した際には沖縄県のワシントン事務所を作るべきだと提言しました。すると翁長氏は沖縄県ワシントン事務所の設立を選挙公約に入れ、当選後、本当にワシントン事務所を設立したのです。そして、翁長氏自身も何度もワシントンに足を運び、米国のポリシーメーカーたちに沖縄の辺野古基地反対の声を自ら伝えていました。沖縄県のワシントン事務所は、今日も、沖縄の状態をアメリカの人々に伝えるべく、ワシントンで活動しています。
私は、日米外交に苦しんでいた政権当時の民主党にも同じ提言をしましたが、賛意は得つつも、「お金がない」「どうしてワシントンだけ? といわれてしまう」と、様々な理由で実現しませんでした。
翁長氏のその柔軟な姿勢と実行力は、類い希なるものであったと思います。改めて、すばらしいリーダーの逝去を大変残念に思います。
しかし、悲しんでばかりもいられません。基地問題の今後について、現在、下記の3点に思いを巡らせています。