25日の自民党大会で、安倍晋三首相は「行政全般の最終的な責任は、内閣総理大臣である、この私にあります。改めて国民の皆様に深くお詫びを申し上げる次第です」と、森友学園をめぐる公文書改竄問題について謝罪した。
一見すると真摯な言葉のように見えるが、彼が心の底から今回の問題について反省しているようには、私には思えない。「国民の皆様」に対するお詫びならば、なぜ自民党大会で述べるのだろうか。三選や改憲に向けて、党内での求心力を失わないように、とりあえず反省している姿勢を示しただけなのではないだろうか。
結局のところ、彼にはこの社会で生きる人々のことなど見えていないのだと思う。目の前にいる自分を総裁に押し上げてくれる「身内」にどう思われるかが大切なのだ。彼の進める政治にしても同じだ。自分を支持してくれる財界のために、「上」の人々だけが儲かるアベノミクスをやり、最近では不適切なデータを根拠にして、裁量労働制までプレゼントしようとしていた。働く人々のことなど見えていない。森友学園の国有地の異常な値引きも、根っこは同じところにあるのではないかと思う。
彼の政治は、もはやこの社会に生きる人々を代表してはいない。「私たち」のことなど頭の片隅にないのだ。自分自身も彼らの「身内」だと思い込んで、権力者たちと同化すれば、刹那的な「安心感」には浸れるかもしれない。しかしいくら彼らにすがっても、救われることなどない。何か問題があれば、籠池夫妻や、佐川宣寿前国税庁長官のように切り捨てられる。自ら死を選んだ財務省職員のように忘れ去られる。いや、そもそも顧みられることすらないのかもしれない。