仕事を続けることができなくなり、三度の食事よりも好きだった渓流釣りをあきらめざるを得なくなった。郁典さんは心に鎧をまとって、家にこもるようになった。

 妻の信子さんは、当時の自分をいまも悔いている。

「私はこのとき『絶望する人』を初めて見たのだと思います。ショックを受けていっしょに落ち込んでしまい、彼の救いになれなかった。いま思っても情けないです」

■絶望の淵から救ったのは、音楽ソフトとの出会い

 2人を変えたのは、音楽ソフトとの出合いだった。

 郁典さんは楽譜が読めず、ピアノも弾けない。それでもプログラミングの仕事をしていたせいか、驚くほどあっさりと曲を作ることができたのだ。

 趣味で作詞作曲をしたことのある信子さんは、若いころに(恥ずかしながら)作った曲を思い切って郁典さんに提供した。それを郁典さんが音楽ソフトでアレンジした。

「完成した曲を聞いて、妻が『上手だね!』と驚いてくれたんです。その言葉は……精神的な報酬とでもいいますか、苦しみを乗り越える大きな一歩でした」(郁典さん)

 それから5年。二人は「げんきなこ」として50曲以上のオリジナル曲を生み出し、年間30回以上のステージをこなす。

「私は堅実に暮らす専業主婦だったはずなんですけど(笑)、気がついたら音楽機材を買い込んで、車につんで日本全国に出かけていって、人前で歌を歌うようになりました。人生ってわからないものですね」と信子さんは笑う。

 そうはいっても、郁典さんはパーキンソン病の患者だ。出かける時間になっても体がまったく動かないこともある。ときにはパンツとシャツで車に転がり込み、薬が効いてようやく着替えて会場に到着する、ということもあるそうだ。

 多くの人に支えられて、歌うことができる。郁典さんがまとっていた心の鎧は、一枚一枚はがされていった。

「人間とは、しなやかなものですね。精神面がラクになり、夢中になれるものに出合えたことで、『病気になれてよかった』と思うほどです」(郁典さん)
 

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