働き盛りの45歳男性。がんの疑いを指摘された朝日新聞記者の野上祐さんは、手術後、厳しい結果を医師から告げられる。抗がん剤治療を受けながら闘病中。
* * *
前回のコラムに添えられた夫婦の写真は、担当者が過去に使われた写真の中から探してくれた。
中国の人権活動家で夫の劉暁波(リウ・シアオポー)さんと、妻の劉霞(リウ・シア)さん。ともに丸刈りでメガネをかけている。寄りかかっている夫がいなくなれば倒れてしまいそうな妻の雰囲気は私の記憶通りだった。
ただ一つ、違ったのが2人の並び方だ。向かって左に妻、右に夫と覚えていたが、写真では反対だった。
人はよく「映像を覚えている」という。だが正確には「丸刈り」といった情報を覚えていて、そこから映像を再現するのだ。私は左右を覚えておらず、コラムにも書かなかった。そのために起きた逆転現象だった。
「場面が色とともによみがえる」。かつて書いたコラムに、面識のない読者からそんな感想が届いた。がんになって以来、ものを書くときに限らず、過去の情景を思い出すことが増えた。それを再現する言葉は、遠ざかろうとする思い出をつなぎとめるフックにもなっている。
あれからもう20年以上になる。初任地の仙台で、ある先輩記者が「『茶碗は何色か』って話、聞いたことある?」と尋ねてきた。
福島県の木村守江知事が汚職事件で逮捕されたのは1976年。事件の全貌を描いた朝日新聞の県版連載「木村王国の崩壊」に取調室の場面が出てくる。
取材にあたった記者に、原稿を仕上げる役回りの上司が尋ねる。「そこにあった茶碗は何色だったか」。記者は取材に走り、茶碗が水色だったことをつかむ、という伝説だ。
すっかり話に引き込まれている私を見て、先輩は愉快そうだった。もしかしたら自分もかつて同じように聞かされ、感心した覚えがあるのかもしれない。「別に茶碗が何色でも、原稿の中身には関係ないんだけどさ。それが水色だったっていうだけで、ふっとその場面が浮くじゃない?」
この連載をまとめた本を読み返すと、知事が現金を受け取る場面が出てくる。業者が紫色の風呂敷包みから茶封筒を出す姿が色鮮やかによみがえる。
4年前、その福島に赴任した。記者の原稿を仕上げる次長(デスク)としてだ。ちょうど知事選があった。記者たちは当時2期目の佐藤雄平知事が立候補を見送るという特ダネを放った。翌日には、内堀雅雄副知事(現知事)を後継に指名する動きを立て続けに報じた。
特ダネから9日後の2014年9月4日。知事は記者会見を開き、立候補しない考えを正式に表明する。副知事は出張先の愛知県で、見送り表明を事前に知らせる知事からの連絡を受けた。
和食店で携帯電話が鳴ったとき、副知事は昼食に何を食べていたのか。
各報道機関でただ1人、副知事に張り付いていた鹿野幹男記者(現つくば支局員)に総局の高田寛記者(現経済部)が取材を指示した。