リフレ派の考え方は、しだいにひろがり、政界を席巻するようになる。そのクライマックスは、2012年の総選挙、そして2013年の黒田東彦氏の日銀総裁就任だった。その後「主治医団」の一員としてもっとも重要視されるようになったのが日銀である。
「2008年、リーマン・ショックなどがきっかけで、世界中を不況が襲い、日本に超円高の波が押し寄せます。それにより、日本では、超円高を起点にして、内需の低下やデフレの加速などが引き起こされました。その打開策として打ち立てられたのがアベノミクスです。黒田総裁は総裁就任とほぼ同時に、2年間で2%のインフレターゲットを発表。アベノミクス“三本の矢”のうちの“第一の矢”として、量的・質的な金融緩和、通称“異次元の金融緩和”を発表しました」
■慢性化した日本経済の病
しかし、それから5年目をむかえた現在、物価上昇率は1%以下にとどまり、デフレ脱却を宣言するにはいたっていない。リフレ派の診断が間違っていたのか、あるいは治療のタイミングの問題なのか。2年間の予定だった「治療」を今後も続けるべきか否か、議論は絶えない。
政府が2001年にデフレを認めてから15年以上が経つ。これまでも量的・質的緩和、財政出動などさまざまなデフレ退治の処方箋が出されてきた。しかし、状況はなかなか改善しない。いわば、病気が「慢性」化してしまった日本経済に、今後有効な処方箋は何なのか?