「たとえば、バブルの崩壊のタイミングで行われた『利上げ』です。株価は1989年12月に最高値の3万8915円を付けますが、金利はなかなか上げられませんでした。崩壊がはじまった局面で、ようやく金融が引き締められます。しかし、株価が下落基調のときに利上げが行われたものだから市中に出回る通貨が減少し、景気を抑制。バブルの崩壊に拍車をかけてしまいました。いわゆる『オーバーキル(Overkill)』になってしまったのです」

 もし、バブルが大きくなりすぎず、株価が最高値を付ける前のタイミングで、十分な「利上げ」ができていれば、バブル崩壊を緩やかにできたという指摘もある。経済政策は、問題の認識から診断、そして処方箋の決定までに時間がかかるため、適切なタイミングをとれないことが多かったと鯨岡氏は指摘する。

■新しい処方箋「金融政策」

 バブル崩壊後の「オーバーキル(Overkill)」によって、日本経済は、モノの値段が下がり、経済全体が縮んでいくデフレに陥った。いったんデフレに陥ると抜け出すのが難しい。人々は、物価が下がっていくという見通しを持つようになると、いま、モノを買おうとは思わなくなる。逆に、放っておいても購買力が増していく「現金」を持ち続けようと思うようになる。みんながお金を手元に持ち続ければ、経済は凍りついて動かなくなる。

 デフレで冷え込んだ日本経済を奮い立たせるために、当時の政府が打ち出した処方箋は、「財政出動」だった。政府が大規模な公共事業を行い、消費を喚起するために減税を行った。しかし、その効果は一時的なものにとどまり、逆に大量の借金が残ることになる。

 そのようななかで、新たな診断として登場してきたのが、「病気の原因は金融政策にある」とするものだ。日銀の不適切な金融政策が、日本にデフレを招き、日本経済の病気を長引かせているという説である。この頃から、緩やかなインフレを目指す立場である「リフレ派」という言葉が注目を浴びるようになった。

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