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・「命がけの熱」が出ることを覚悟して点滴をするか。
・高熱をいつ先輩たちに伝えるか。
・病院に連絡するか。
2日間で迫られた3つの判断のうち、一番難しかったのは2つ目の「高熱をいつ伝えるか」だった。
1つ目の「点滴をするか」でないことは、読者には意外かもしれない。「命云々と言われたら、もっと動揺するのでは」と考える方が多いのではないか。
以前、お見舞いにきた先輩に、生存率がどうこうとふつうの調子で話していたら「野上はもう生きることをあきらめたのか?」と言われ、驚いたことがある。まなじりを決して闘病するというイメージとのギャップがあったのだろう。
そのあたりのことはこのコラムのタイトルにも表れている。
最初は朝日新聞デジタルで掲載していたときにつけてもらった「がんと闘う記者」をなぞり、「『難治がん』と闘う記者」となっていた。途中から「闘う」を除き、今はただ「『難治がん』の記者」となっている。
理由は簡単だ。私には自分が「病気」と闘っているという実感がないからだ。あるのは、病気にならなければ生じなかったものごとに一つ一つ対処している感覚だ。そこにはもちろん体のつらさも含まれるが、病気を挟んで人と付き合うわずらわしさや、面倒をかけている申し訳なさなど、病気以外の要素がとても大きい。
そのあたりもひっくるめて「闘病」というのではないか、と思う人もいるだろう。そうかもしれない。ただ、頭の中をどれぐらい病気や治療が占めているかと考えるとき、がん患者のレンズ越しに世の中を見て、日々考えていることや感じていることをつづるこのコラムが「闘病記」といわれると、なんだかなあ、という気がする。
国民の2人に1人ががんになる時代といわれる。もし、似たような考え方をする人に会えたら「生きることをあきらめているとか、がん患者らしい心の葛藤を押し隠しているとか誤解されて、苦労したことはありませんか」と聞いてみたい。
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ちなみに私は、病気になってから2度、富岡八幡宮に参拝した。家内安全は大丈夫だろうと思い、お札には「病気平癒」と書いてもらった。
家内安全はお願いごとの集大成、ゴールでもあるけれど、ほかの願いをかなえるための出発点でもあるのかもしれない。
それが、病気にならなければ生じなかったものごとに夫婦二人で立ち向かっている今、思うことだ。