●天気は変えられないけれど
さて、人々の暮らしを左右しながら人が変えられないものの筆頭といえば、「お天気」である。民進党の前原誠司代表の恩師とされる国際政治学者の故高坂正尭氏は著者「日本存亡のとき」にこう記している。「われわれ日本人には、国際環境を気象のような与件としてとらえ」るところがあり、「自らも加わって変えていくことができるものとして国際環境をとらえることが少ない」。
安倍晋三首相が「国難」に挙げた北朝鮮情勢。貧困や格差といった社会問題もそうかもしれない。人は目の前の困難を天気のように変えられないものとみなしたとき、無力感にとらわれる。
過去に起きてしまったことや自然現象のように、変えられないものは確かにある。だが、人が生み出したものはそうではない。変えられる可能性が小さいこととゼロのあいだには、天と地ほどの差がある。先行きを変えられない病気を抱えた身からすると、変える余地があることまでなぜあきらめるのか、問いたくなる。
忘れられない言葉がある。今から12年前、政治部で働きだして2年目の私は、郵政選挙の熱気があふれるなか、郵政民営化の反対集会に出かけた。野党の政治家が並んだ壇上からスローガンが鳴り響く。マイクを握っていたのは政治学者の故岡野加穂留氏。その言葉のことを、欧州のことわざを七七五の台詞言葉に訳したものと著書に書き残している。
「明日の天気は変えられないが、明日の政治は変えられる」
10月22日、衆院選の投開票日。今の政治を後押しするか、その動きに待ったをかけるか。一人一人がより良いと信じる方向へ、その一票は変わりうる将来へとつながっている。