9月にニールはまた、『ヒッチハイカー』というタイトルのアルバムを発表してもいる。集中して取り組んでいるという過去音源の発掘・再編集の成果の一つで、1976年8月11日に録音されながら、レコード会社側の反対もあって発売には至らなかった、いわゆる「幻のアルバム」を正式に作品化したものだ。

 カリフォルニア州マリブのスタジオでレコーディングが行なわれたその日、そこにはニールと、彼の多くの作品を手がけたプロデューサー、デイヴィッド・ブリッグスと、親友でもある俳優ディーン・ストックウェルしかいなかったという。周囲からの雑音はもちろん、余分な要素はまったくなかったということだ。ニールはそこで、ほとんど休むこともなく、完全なアコースティック・ソロ・パフォーマンスのスタイルでアルバム一枚分の音をテープに残した。メロディや言葉が、それこそ自然に湧き出るような状態だったのだろう。

 40年以上の時を超えて、ようやくきちんとした形で届けられた『ヒッチハイカー』には、「ポカホンタス」「パウダーフィンガー」「キャンペイナー」「ヒューマン・ハイウェイ」など、その後の活動の核となっていく曲のいわば原型が収められている。ビジネス・サイドの人たちは「シンプルすぎる」という理由で却下してしまったのかもしれないが、ニールにとってそれは、セールス・ポイントなどという概念とは離れたところに身を置き、信頼する友人たちと真正面から音楽と向きあった、その結果として手にした、とても大切なものだったのだ。だからこそ、「きちんとした形で聴いてほしい」と、ずっと思いつづけてきたのだろう。夜明けのマリブ海岸で撮影されたものと思われる美しいジャケット写真からも、そういった想いのようなものが静かに伝わってくる。

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 若いころからもっとも熱心に追いかけてきたアーティスト、ニール・ヤングを第1回目に取り上げたこのロック・コラム、タイトルはたいへん僭越ながら、尊敬する永井荷風の、今年が起筆百年にあたる『断腸亭日乗』からヒントをいただいた。ちなみに「六九」は、いつまでたってもまったく上達しないのだが、時おり五七五をひねる際の俳号です。

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