ケガの影響もあり、5月の全仏オープンから10月にかけて10大会連続の初戦敗退。初夏には70位台だったランキングも、10月には100位圏外まで落ちていた。それでも、ケガが癒えた年末から徐々に調子をあげ、迎えた翌年1月の全豪オープンでは初戦で当時世界12位のナディア・ペトロワ(ロシア)を6-2、6-0で圧倒。この時、コーチの中野陽夫氏が「長かった~」と呻くように声をあげ、祝福の握手を求めにきた関係者たちに次々と抱きつく姿が印象的だった。

 それ以降もランキングは下降線を辿りながらも、時折、とてつもない名勝負を演じ、人々の胸を打つのが伊達だった。肩や臀部の痛みに苦しめられ170位前後まで落ちていた2015年ですら、彼女は当時24位のザビーネ・リシキ(ドイツ)から大逆転勝利をもぎ取り、海外メディアをも驚嘆させた。そんな彼女だからこそ、周囲も、そして恐らくは彼女も自分自身に、再び奇跡的な何かを起こす日を期待していたのだろう。

 今年5月、コートに復帰した際は敗戦にも前向きな言葉を残した伊達だが、試合を重ねるうちにメスを入れたひざのみならず、古傷の肩の痛みにプレーそのものを妨げられた。

「最後の数年間は、本当にケガに悩まされて。今思えば、カムバックしたのが37歳の時なんですけれど、37歳から41歳ぐらいまでは、本当にすごく元気だったなと」

 先日行われた日本外国特派員協会の会見の席で、伊達は笑顔で述懐した。

「最終的に引退を決断しなければいけなかった大きな理由は、やはり身体の問題。気持ちは『不可能なことはない』と思い続けていたのですが、どうしても気持ちと身体のバランスが崩れてしまった」

 彼女が2度目の引退を決意した訳は……、いや、それはもはや決意ですらなかったのかもしれない。ただただ、身体が限界だった。それだけのことだった。

 47歳の誕生日を約2週間後に控えた今年9月12日。伊達公子は24歳の才能豊かなアレクサンドラ・クルニッチ(セルビア)に0-6、0-6で完敗。本当に限界まで戦いぬいた、清々しいまでの第2のキャリアの幕引きだった。(文・内田暁)