お彼岸である。この昼と夜の時間が全く同じになる日の前後、日本では仏事が行われ「おはぎ」が供えられる。彼岸の反対語は此岸(しがん)といい、この世のことを指す。ならば彼岸とは「あの世」を指すのかと言えば、そうではなく「悟りの境地」のことを意味し、言い換えればこの世は、煩悩だらけ、迷いだらけの世界と言う意味になるわけだ。
「悟りの境地」に達したのがすべての仏さま……と考えては実は間違い。それほど彼岸は遠い。日本には多くの仏像があるが、「真理を悟った者」という名前を持つ仏さまはわずか一部にすぎない。日頃見ている仏像の姿にはそういった情報が隠されているのである。
仏像は大きく分けて4つとその他に分類できる。仏さまの名前から説明すると理解しやすいのでここから始めよう。
(1)最上位の「如来」
「真理からやってきたもの」「真理から生まれたもの」という意味のある“如来”の名を持つ仏像は、最上位の仏さまで、悟りを得て最高の境地に達していることの表れである。釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来、薬師如来などが有名。奈良の国宝・東大寺盧舎那仏(びるしゃなぶつ)像も如来に属する。
像の特徴は、螺髪(らほつ/丸く丸まった頭髪)と粗末な衣一枚をまとった質素な姿にある。悟りを開いた仏さまには華美な装飾は不要という意味だ。
ただし、例外もある。密教の世界で最高仏に位置づけられている大日如来は、螺髪でなく、宝冠をつけ華美な装飾を身にまとっている。また、通常手には何も持たない如来であるが、薬師如来だけは薬つぼを持っている。
(2)修行中の身の「菩薩」
「悟りを求めるもの」という意味を持つ“菩薩”が、如来の下の位になる。菩薩の容姿は仏教の開祖であるシャカ(ゴータマ・シッダールタ)の修行中の姿を映したものだ。シャカの出家前の身分は王子であるため、豪華な着物や装飾品、王冠を身につけている。観音菩薩、文殊菩薩、日光菩薩、虚空蔵菩薩、地蔵菩薩などがあるが、日本では、菩薩さまの人気が高く、多くのお寺で本尊として祀られている。
なお、お地蔵さまが他の菩薩の姿と違っているのは、日本では時代が下るにつれ辻に立つ道祖神と同化してしまっているためで、古い時代の絵画などでは他の菩薩と同様に装飾をまとって描かれている。
(3)如来の化身「明王」
不動明王や愛染明王、金剛夜叉明王など、剣を持ち忿怒の表情をたたえる仏像は、なかなか言うことを聞かない人々を正しい道へと導くため、如来が怒りの姿に変化し現れたもの。不動明王の持つ縄は、縛ってでも正しい方向へ連れて行くという決意の姿である。