ロングラン上映中のアニメーション映画「この世界の片隅に」は、監督の片渕須直さんが「昭和のくらし博物館」の館長で、『くらしの昭和史 昭和のくらし博物館から』の著者でもある小泉和子さんの講座に通って作り上げた作品なのだという。主人公と同じ名前の小泉さんのお母さん、すずさんの家事のようすを記録した映画「昭和の家事」をたいへん参考にしたそうだ。
そんな昭和の家庭に、パン焼き器があったことをご存じだろうか。この電極式パン焼き器は、戦時中の家庭で広く使われていた。
仕組みは単純だ。内側に鉄板を張った木箱に小麦粉などの粉を水でこねたパン種を流し込んで電流を通し、パン種に直接電流を流すことでジュール熱を発生させ、パン種自体の発熱により焼き上げる。さらに電流を流し続けることで、パン種から水分が蒸発し電気抵抗が大きくなり、やがて電流が流れなくなる。つまり、パン自体が焼き上がると自動的に電流が流れなくなるという仕組みだ。焼きあがるパンは、どちらかというと蒸しパンに近いものだったという。
もとは戦時中に陸軍の外郭団体、糧友会が考案したものといわれる。ただ、一般に市販されてはおらず、各家庭で手作りした。
戦争中、主食は配給制だった。戦争の悪化や干ばつや不作のため、コメの配給はどんどん減り、大都市では戦争末期に足りないコメを補うために食用粉が配給された。小麦粉にどんぐり、甘藷(かんしょ)の茎や葉、クワの葉、ヨモギや海藻などを混ぜたもので、焼いて食べるしかなかった。この粉にぬかやふすまを混ぜ、ふくらし粉や重層を入れて水でこねて焼く。そのため、家庭にこのパン焼き器が普及したのである。
農林省は「未利用資源の粉食化」を奨励して、大都市では戦争末期には配給される主食の半分がこれらの食用粉でまかなわれていた。戦争中よりもさらに厳しかった戦後の食糧難には、栄養失調を防ぐために、魚の骨でもイナゴ、コオロギ、バッタでも、粉にして新しい粉食として配給することを帝大附属病院長が勧めている(朝日新聞1945年11月2日付朝刊)。
小泉さんのお宅にも、手作りの電極式パン焼き器があった。しかもその電極式パン焼き器、復元し、いまでも使えるようになっているのだ。戦時中のパンがどんな味なのか知りたいという人は、8月20日に「昭和のくらし博物館」を訪れてみてはどうだろう。
「昭和のくらし博物館」では、毎年8月に「小泉家に残る戦争」展と題して、戦争中のくらしを紹介する特別展を開催している。20日にはこの電極式パン焼き器でパンを焼くワークショップがあり、戦争直後のパンの試食もあるのだ。さつまいもや砂糖も入れて戦時中よりちょっと甘めのパンにするそうだ。
もちろんパンだけでなく、博物館内のさまざまな生活道具をはじめ、トークプログラムによる貴重な証言も聞くことができ、当時のくらしに触れることができる。終戦の日を迎える8月。戦争の影で営まれた庶民の生活に思いを馳せるのはいかがだろうか。