自由席で家族旅行した思い出として、上野から新潟方面に向かう準急か、急行列車に乗ってスキーをしに行ったことがあります。あれは小学校の時でした。越後湯沢の手前に、川端康成の『雪国』で知られる、上越国境を貫通する清水トンネルを抜けたすぐ先に土樽という駅があるのですが、その駅前に「土樽スキー場」というのがありました。
土樽までの車内、車両はもうグチャグチャに混んでいて、デッキまで移動することもままなりません。まして、土樽なんていう駅で降りる人なんてほとんどいませんし、停車時間も短いわけです。列車が土樽駅に到着しました。「すいません、降りるので開けてください!」と叫ぶと、席に座っている人が客車の窓をばんと開けてくれます。雪交じりの冷気が車内に入り込む中、まずスキー板と荷物をホームに放り投げます。次に母親が窓から降ります。子どもだった僕は、残った父親にポーンと放り投げられました。最後に父親が窓から降りるわけですが、この時にはもう列車がお構いなしに動き出していました。
こんなサバイバルが珍しくありませんでした。小学生の頃の強烈な思い出として今でも蘇ります。
なぜ、こんなに列車が混んでいたのでしょうか。僕が中学・高校の頃の昭和40年代ぐらいまでは、輸送力が国民の移動の需要に応えられてなかったんですね。当時は飛行機なんて庶民には乗れませんでしたし、今のような高速道路網もなく、長距離バスの移動も一般的ではありませんでした。マイカーを持っている人もまだ限られていました。
そのため、長距離移動手段が鉄道に絞られてしまうわけですが、特に中長距離の列車は全く足りていませんでした。移動したくても乗れないのが当たり前でした。ですので、乗せていただいているという意識も強かったです。もしかするとここが、国鉄職員の態度の横柄さに繋がっていたのかもしれません。
今はお盆のラッシュであっても、電車に物理的に乗れないなんてことはなくなりました。指定席もスマートフォンを使って並ばないで取ることもできますし、本当にいい時代になったなと思います。夏休み、帰省や旅行される方もいらっしゃるかもしれませんが、よい旅をしてください。