「1週間毎日、トータルで100回は歌わされました」
稲垣が1980年代のスタジオを懐かしむ。
ユーミンのモノマネでもおなじみの清水ミチコは歌マネのメロディを披露。
「マイカの皆さんは私を反面教師にして、オリジナリティを追求してください」
そう言って、井上陽水の「少年時代」、中島みゆきの「糸」、忌野清志郎のタイマーズの「デイ・ドリーム・ビリーバー」、ユーミンの「雨の街を」などを数小節ずつ弾き語っていく。
大貫妙子は松任谷がキーボードを担当するバンドで「横顔」と「色彩都市」を歌った。そこでひと呼吸置くと、2人でステージのセンターに並ぶ。
松任谷の表情がややこわばっている。特別な何かが始まるらしい。
「本邦初公開だよね?」
大貫がいたずらっぽい視線で横を見上げる。
「うん。そして、たぶん、これが最後……」
松任谷が小さく答えた。
1977年に、松任谷は1枚だけソロアルバムをリリースしている。タイトルは『夜の旅人』。その中で1曲、大貫とデュエットをした。「荒涼」。凍てつくような寂しさを感じる曲だ。
「この曲、ター坊(大貫)に断られたら、レコーディングしなかったと思う。僕1人では歌えなかった」
あれから40年を経て、初めて2人で歌う「荒涼」。マイカ卒業生・増田太郎のバイオリンが寄り添うように一緒に歌い上げていく。出演者の待機エリアでユーミンが拍手を送っている。
キーボード奏者の松任谷が人前で歌うのは、何十年ぶりだろうか。教え子たちが見守る中、かなりの決心をもって歌っていることは想像に難くない。マイカの存在はそれほど、松任谷にとって特別なものなのだ。
歌い終えても松任谷は表情を崩さない。どうやらもう1曲あるらしい。
大貫が上手に引け、バックがカントリーバンドになる。「ジャクソン」だ。松任谷のアルバムデビューはバンド、ティン・パン・アレイ(細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷)の『キャラメル・ママ』。その中でアレンジとヴォーカルを担当したカヴァー・ナンバーである。まだ歌うのが照れくさいのか、両手をポケットに入れている。それでいて、歌唱はラウド。
松任谷がサプライズで2曲も歌い会場が盛り上がる中、最終日もトリでユーミンが登場。最後の夜はドレッシー。髪はアップに、白いワンピース姿で「ずっとそばに」を歌った。