ウオ―――――――――――!
ライブの終盤、ステージにユーミンが現れると、会場がどっと沸いた。ポニーテイルにピンクのフレームのサングラス。「MERMAID KISSES & STARFISH WISHS」とプリントされたTシャツがかわいい。
「こんばんは! 松任谷由実です。松任谷校長の家でお手伝いしてまーす」
ワア―――――――――――!
今度は客席が笑いに包まれた。
「松任谷校長」とは夫であり音楽プロデューサーの松任谷正隆のこと。松任谷は1970年代から、ユーミンをはじめ、吉田拓郎、ゆず、いきものがかりなどの音楽を手掛け、日本のポップシーンの最前線で活躍し続けている。同時に、マイカ・ミュージック・ラボラトリー校長という顔も持つ。マイカは、1986年10月に東京・世田谷の二子玉川で開校した音楽学校だ。現在は隣街の用賀の住宅街に移転。作詞、作曲、編曲、歌唱、楽器演奏、ダンス……などのクラスがあり、プロのミュージシャンやシンガーソングライターを数多く輩出している。
マイカは「MICA」と書く。ユーミンが名付けた。同じ場所にある松任谷夫妻の事務所は「雲母社」と書いて“きららしゃ”。多摩美術大学で日本画を専攻していたユーミンが雲母色というオーロラのような色彩に惹かれ、社名にした。雲母の英訳が「MICA」なのだ。
そのマイカの、地下2階のスタジオで、7月21日、22日、23日の3日間、創立30周年記念コンサートが開催された。
「メモリアルコンサートだからこそホームグラウンドでやりたい」
松任谷の強い希望で、会場はホールではなく校内のスタジオになった。
客席数はわずか120。学園祭の教室コンサートのようだ。会場にはマイカの在校生、卒業生に加え、抽選で選ばれた一般の音楽ファンの顔もある。男性もいる。女性もいる。20代もいる。60代もいる。
ユーミンが1曲目に歌ったのは「ずっとそばに」。1983年のアルバム『REINCARNATION』に収録されている情緒的なラヴソングだ。ソプラノサックスが歌と溶け合うように響いた。
全国ツアー中のユーミンは2日前まで東京公演だった。会場は東京国際フォーラム ホールA。客席数5000。それが、この日は手の届きそうな距離で歌っている。マイカ関係者の特権だ。このライブのために在校生、講師、OB&OGでバンドも結成。通常のユーミンのライブやレコーディングにも、松任谷が育てたマイカ出身者が参加している。
「ずっとそばに」に続いて歌われたのは、ユーミン初期のヒット曲の1つ「中央フリーウェイ」。アップテンポの曲で、客席はさらに盛り上がった。