日本史上、源義経ほど多くの謎と伝説に包まれた武将はいない。
「義経千本桜」「勧進帳」などの古典芸能、漫画、テレビ、映画などの大衆文化の中でも、数え切れない義経物語が流布されてきた。その多さを考えれば、義経が井伊直弼、大石内蔵助、豊臣秀吉に次いで大河ドラマの主人公に選ばれたのは当然かもしれない。
原作は村上元三の「源義経」で、自ら脚本を執筆した。
「太閤記」同様、キャスティングは新人起用路線が踏襲され、義経役には尾上菊之助(現・菊五郎)が史上最年少の23歳の若さで起用された。恋人の静御前に選ばれたのは東映の看板女優だった藤純子(現・富司純子)。
颯爽とした江戸前の芸風と美しい容姿の歌舞伎界のプリンス菊之助と映画界きっての美人女優藤純子。ふたりの共演は、天下随一の美男美女カップルともてはやされた。
義経の正妻卿の君(萠子)役でふたりと共演した波乃久里子さんは当時の思い出をこんなふうに語る。
「菊之助さんと私は従妹同士ですから子供のころから彼を“ひーちゃん、ひーちゃん”と呼んでいたんです。彼の本名が寺島秀幸ですから。純子さんはそれを知らなくて、何で“ひーちゃん”と呼ぶのと聞くんです。そこには可愛い嫉妬が見え隠れしていて、とても微笑ましかったです」
奇しくも波乃さんと藤純子とは同年同月同日生まれ(1945年12月1日)生まれという縁もあって、今でも大の仲良しだという。
「吉田直哉さんという素敵な演出家、主演は目配り気配りがすごいひーちゃんと可愛い純子さん、いつも笑わせてくれる緒形拳さんがご一緒で、撮影現場に行くのが楽しかった青春の日々でした」
大河ドラマ「源義経」と菊之助との出会いが、女優としても、ひとりの女性としても、藤純子の運命を大きく変えた。
「源義経」出演中の藤を、「旗本やくざ」と「男の勝負」という二本の映画で演技指導した映画監督の中島貞夫氏は次のように振り返る。
「純子ちゃんは最初、テレビのお笑いものに出ていたのですが、マキノ雅弘監督の指導を受けてからは鶴田浩二、高倉健らの相手役を務められるような映画女優になりました。だから『源義経』が決ったときは、またテレビに帰ってしまうのかという気持ちと、大きくなって戻って来いよという気持ちが入り交ざった複雑なものでした」
菊之助と純子は「源義経」の共演がきっかけで、1972年に結婚、世間を驚かせる。中島監督がこう続ける。