サントリーレディスオープンゴルフトーナメント最終日、26位に終わった宮里藍。最後に勝ってこの笑顔が見たい。(写真:Getty Images)
サントリーレディスオープンゴルフトーナメント最終日、26位に終わった宮里藍。最後に勝ってこの笑顔が見たい。(写真:Getty Images)
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 それは「引退試合」のようだった。最終18番のグリーンに上がる彼女に向けられた、地鳴りのような大声援。それに応えるかのように、4メートルのパーパットがカップに沈む。大会最多3万4750人のギャラリーが4日間で集まったことは、彼女の偉大さの証明だ。

 宮里藍が、今季限りでの現役引退を表明してから初のトーナメント出場となったサントリーレディスオープンゴルフトーナメント。国内ラストゲームになる可能性もあることから、大会前から話題は宮里に集中し、優勝争いよりも宮里の一挙手一投足に注目が集まった。

 明確に引退を表明することが少ないプロゴルフだけに、過去のプロゴルファーと比較することは難しいが、引退を発表してから2週間、宮里という女子プロゴルファーがどれほど日本人の心に深く刻まれていたかを、改めて感じずにはいられない。

 ゴルファーとしての宮里は、皆さんもご存じの通り、数々の金字塔を打ち立ててきた。2003年のミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンで30年ぶりのアマチュア優勝を史上最年少の18歳101日で達成。これが「藍ちゃんフィーバー」の始まりだった。

 直後にプロ転向すると、翌04年は開幕戦のダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメントなど、いきなり5勝し賞金ランク2位。05年はワールドカップ女子ゴルフで北田瑠衣と組み世界一に輝くと、年間6勝して国民的人気は不動のものに。06年からは米ツアーに活躍の場を移した。

 そして参戦4年目の09年にエビアンマスターズで米ツアー初優勝を達成。翌年になると5勝をあげて、世界ランクトップに上り詰めた。世界一になったのだ。プロ生活14年で国内ツアー15勝、海外ツアー9勝は文句の付ようがない成績。宮里は、間違いなくその実力で女子ゴルフ界を牽引してきた。

 しかし、宮里がここまで国民に愛される女子プロゴルファーになったのは、その実績からなのだろうか。

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