きっかけは14年12月、地元の中堅スーパー「リベラル」が、島内の全11店舗の営業を停止したことだった。そのうち、比較的経営が安定していた数店舗は、四国の大手スーパーが引き受け、すぐに営業を再開。だが、過疎地域にある店舗は、なかなか再開のめどが立たなかった。
そんな中、買い物する場所を失った住民らから、リベラルと同じく地元の中堅スーパーであるマイ・マートに「出店してほしい」という声が多く寄せられた。これを受けた同社が、15年6~8月にかけて、過疎地域で4店舗を出店したところ、利用者の反応が、通常の出店とは違っていたという。
「一般的に、開業の際はお客さまの要望やお叱りがないかに気を配るのですが、この時は『待ってたよ』『ありがとう』と非常に歓迎されました。そこで、スーパーは街の大切なインフラだと再認識し、地元スーパーとして、できる限り役割を果たさないといけないな、と感じたのです」(橋本社長)
地域のニーズを探るうちに、8000円のタクシー代を払って、一度に3万円の食品を買って冷凍し、少しずつ解凍して使うおばあちゃんや、毎日お弁当を食べているおばあちゃんの存在を知った。
「移動スーパーなら、役に立てるかもしれない」。以前から知っていたとくし丸のことが頭に浮かんだが、まずはリベラルの跡地に出した店舗を軌道に乗せる必要があった。これらの店舗の運営が安定してきた16年12月、とくし丸の住友達也社長に話を聞きに行き、淡路島での展開を決めた。
事業を始めるため、年明けから市場調査を行った。スタッフらと手分けし、地域の1軒1軒を歩いて回る。今にも崩れそうな家に住み、週1回、介護サービスのスタッフに買い物をしてもらうお年寄り。すぐそこにスーパーがあるのに、足腰が弱って玄関先までも出られないお年寄り。買い物に困っている人たちが、たくさんいた。
とくし丸の軽トラックには、生鮮品や果物、飲料、総菜、日用品など約1000種類、1600点がそろう。スタッフが商品を積み込む時に思い浮かべるのは、利用者の顔だ。「あのおばあちゃん、そろそろトイレットペーパーが切れるころかな」。必要な商品や、希望があった商品を積み込んでいく。「そのエリアを回る移動スーパーが、おばあちゃんたちの好みのセレクトショップになっていくのです」(橋本社長) 営業では、「無理に買い過ぎさせない」「腐らせない」といった点にも気を配る。