はじめて自著を出版したのは41歳の時だったという早稲田大学国際教養学部の池田清彦教授。それから25年の間に何十冊もの本を書いた著者としての視点から、学問や思想に役に立つ本は、普通の商品としてみるべきではないと指摘する。
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心血を注いで書いた本もあれば、一日語り下ろしただけで作った本もある。本を作るのに傾けた努力量と売れ行きは総じて反比例するので、マーケットのことだけ考えれば、心血を注いで本を書くのは愚か極まりない行為ということになる。それでも、書きたいことが溜まってくると、売れないと分かっている本の執筆に情熱を傾けた。
時々、アマゾンの書評などを見ていると、すべての本は商品だと勘違いしている人がいて唖然とする。たとえば、私の『構造主義科学論の冒険』を評して、「科学哲学を学びたくて読むのならば、この本は第一章だけ読めば良い。あとはソシュールの言語学が解らなければ解らない。私には、なぜこの本がアマゾンで高評価を得られているのか不思議でならない」というのがあって笑った。余り言いたくはないけれど、私の堅い本はごく一部の未知の知的後継者に向けて書いているのであって、手軽に知識を得ようと思っている人に向けて書いている訳ではないのだ。
それに、ソシュールの言語学が理解できないのはアンタがアホなせいで、オレのせいじゃないよ。
はっきり言って、読んですぐに理解できる本、役に立つ本は、学問や思想にとって無に等しいのだ。訳分からんと思いながらも何かひっかかる所があって私の本を繰り返し読んで、ある時突然腑に落ちる読者が少数いればそれでよいのだ。学問や思想はそのようにしてしか伝わらない。
Ars Longa, Vita Brevis(学問は長く、人生は短い。ヒポクラテス)。心血を注いで書いた本は他の商品と違って消耗品ではないのだよ。そうでなければ誰が本など書くものか。
※週刊朝日 2012年8月17・24日号