7月で65歳になったという生物学者の池田清彦・早稲田大学国際教養学部教授。年を重ねてからの存在理由を「未来のことを自己の利害から自由になって語れること」だと言う。そして自身の若い時に叩き込まれた思想と、現実とのギャップを次のように話す。

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 若い人は未来があるから世間を気にしないわけにはいかない。そこで世間で流通している物語を生きようとする。若い時に、さんざんたたきこまれた思想は「世間をナメちゃいけない」というものだったと思う。だからサラリーマンは会社の流儀を覚え、学者は学会の流儀を覚えることに努力を傾ける。

 しかし、今はっきり分かったことは、私の知る限り、創造的な仕事をして生き生きと生きている奴は、みな世間をナメきっていた奴ばっかりだってことだ。年寄りになって嬉しいことは、そういうことが自由に言えることだ。新しいことを始めるには顔はともかく心の底では世間をナメている必要があるのだ。ナメるのは世間であって世界じゃないよ。えっ、なんだって。ナメたのはおっぱいだけだったって。まあ、それは別の話だな。

※週刊朝日 2012年8月10日号