「荻野目洋子ちゃんのために書いた『六本木純情派』には、実は秘密があるんです」
茶目っ気あるほほ笑みを浮かべながら、作詞家・売野雅勇氏が告白する。
「六本木純情派」を筆頭に、「少女A」(中森明菜)、「涙のリクエスト」(チェッカーズ)、「2億4000万の瞳」(郷ひろみ)といった80年代を代表する名曲の数々を手掛けた売野氏。作詞活動35周年となる今年は、8月に藤井フミヤ、鈴木雅之、中村雅俊など豪華ミュージシャンが多数出演するコンサートを開催、9月には初の著書であり、自伝となる『砂の果実』(朝日新聞出版)を刊行するなど、活動を活発化させている。
冒頭の発言は、9月29日に荻野目洋子氏を招いて行った自伝の出版記念トークイベントで飛び出したもの。そこで語られた「六本木純情派」をめぐる30年越しの“秘話”を紹介する。
歌謡曲の黄金時代と呼ばれる80年代にあって、「六本木純情派」が放つ存在感は一際大きい。当時の日本はバブル景気の絶頂期。老若男女が狂騒し、そうした欲望と快楽、そしてトレンドの中心地が六本木だった。ところが「六本木純情派」の歌詞に登場する少女は、そんな浮世に染まりきれず、困惑し、こう漏らす。「見かけだおしでごめんね」。約3分30秒の楽曲に凝縮された繊細な若者の“本音”は多くの人々の共感を呼び、記録的なヒットとなった。
しかし、「六本木純情派」の歌詞が乗る楽曲は、もともとシングルB面用の候補曲のひとつに過ぎなかったという。
「『六本木純情派』がリリースされる前年に洋子ちゃんは『ダンシング・ヒーロー』をヒットさせていて、その第2弾をつくるイメージで作詞を依頼されたんです。B面候補のなかに僕が最も得意とするマイナー調のエイトビート・ロックの楽曲があって、聴いた瞬間に『僕が歌詞を書いたらすごいことになる』と確信した。そして『この曲をA面にしなければ何をA面にするんだ』と洋子ちゃんが所属するライジングプロダクションの平哲夫社長を説得して、『六本木純情派』が世に出ることになったんです」(売野氏)