襲撃時の銃痕が残るレストラン・バー「ル・カリオン」 写真:Toshie KAMADA
襲撃時の銃痕が残るレストラン・バー「ル・カリオン」 写真:Toshie KAMADA
共和国広場に掲げられた「怖くなんかないぞ:Même pas peur」のスローガン 写真:Toshie KAMADA
共和国広場に掲げられた「怖くなんかないぞ:Même pas peur」のスローガン 写真:Toshie KAMADA
パリ市の紋章にある「荒波にもまれても沈まぬ舟:Fluctuat Nec Mergitur」が、グラフィティアーティト達によって書かれたサンマルタン運河ちかくの壁。共和国広場にも同じ言葉が壁を飾った。 写真:Toshie KAMADA
パリ市の紋章にある「荒波にもまれても沈まぬ舟:Fluctuat Nec Mergitur」が、グラフィティアーティト達によって書かれたサンマルタン運河ちかくの壁。共和国広場にも同じ言葉が壁を飾った。 写真:Toshie KAMADA

「おまえらの思惑にはまるものか」 2015年11月13日(金)の夜に起こったテロ事件に対し、パリの人々は恐怖を乗り越えて通常の生活をしようとしている。1月のシャルリ・エブド社襲撃事件の時は、「私はシャルリ:Je suis Charlie」がスローガンだったが、今回は「テラス席(外の席)にいるよ:Je suis en terrasse」「怖くなんかないぞ:Meme pas peur」を掲げている。

 光の街パリで130人の死亡者と、多くの負傷者をだした無差別テロは、世界の人々に大きなショックをあたえた。犠牲者の多くは、レストランやコンサートを楽しむ20~30代の若者たちだった。テロが発生したパリ10区や11区は庶民的だがおしゃれなカフェや、流行のレストランが多く、若い世代に人気のエリアだ。そこで友達と飲み、たばこを吸って、バカなことをいいあって笑いころげる。多くの犠牲者が出たバタクラン劇場は、そんな若者たちが一階の立ち見席で歌って踊るような場所だった。平凡だけど、パリの生活を楽しむ明るい若者たちをフランス国内で事件を伝える記事は「バタクラン世代」と呼んでいる。11月13日のテロでは、そんな若者たちが標的になった。

 翌日の土曜日は、政府より外出抑制令が出され、パリの観光名所、美術館、体育館、図書館が閉鎖され、街はしんとしていた。しかし、晴れわたった暖かな日曜日には、テラス席でお茶を飲む人、公園でジョギングや散歩をする人であふれ、いつもとさして変わらない休日の風景となった。夜になると事件現場のすぐ近くのカフェもテラス席が満席で、フランス人の心臓の強さに驚いた。

 日本では多くの死傷者がでた事件の直後は、外出を控え、イベントは自粛されるだろう。だが、革命の国フランスはちょっと違う。いつ自分が狙われるか、巻き込まれるか、との不安や恐怖はもちろんある。しかし、恐怖にかられることこそが、テロリストの狙いなのだ。テロリストを憎むならば、許せないならば、彼らの思惑にはまってはいけない。バタクラン世代、そしてパリの人々は、事件現場に足を運び、花をささげ、ろうそくに灯をともし「犠牲になった君たちを忘れない」「(テロなんて)怖くもないぞ」と心に誓う。15人が銃弾に倒れたバー「ル・カリオン」の前で、静かにたたずんでいた男性は「近所に住んでいるので事件の直後にここを通ったから、銃声も聞こえたし、道に倒れている死体もみた。でも、怖がった生活なんて送らない。それがテロリストの狙いだから」と今までと同じ生活をすると語った。

 テラス席で、ボジョレ・ヌーボーの解禁日に、ワインを飲んでいた女性は、「今回のテロは、無差別に銃で襲撃したから、気をつけていたって防ぎようがない。人生を楽しみ、喜びを分かちあい、テラス席でお茶やお酒を飲み、タバコを吸うフランス人のライフスタイル自体を、犯人たちは標的にしたのよ。人生を今までどおり楽しんで、彼らに挑むの」と笑顔で答えた。若者に絶大な人気を誇るオンライン・ガイドのフーディングは、「火曜日の夜(17日)は、みんなでビストロに行こう!」と、テロ後も自宅にこもらないように、外出をうながした。DJは「友達を家に呼んで、窓を開け放し、音楽をガンガンかけろ」とソーシャルネットワークでよびかける。これが、現代のパリ風のレジスタンス(抵抗運動)なのだと。

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