その秋元康は現在、AKB48をプロデュースし、「地元密着型アイドルグループ」を発展させています。みずからの手で焦土と化したフィールドで、新しい芽を育てているわけです。
『あまちゃん』には、あからさまに秋元康を意識したキャラクターが登場します。秋元康にあこがれ、多くのアイドルを生みだしたプロデューサー・荒巻太一です(作中では「太巻」と通称で呼ばれています)。
太巻は春子に、音痴の女優・鈴鹿ひろ美の歌手デビュー曲の吹き替えを依頼します。これを引き受けたせいで、春子が歌手として表に出ることは決定的に不可能になります。春子自身の歌が世に広まったら、鈴鹿ひろ美の「本物」であることがバレるからです。
「本物」であるせいで夢をかなえられなかった春子。それを演じる小泉今日子は、実世界ではみずからが「虚構」であることを宣言して「カリスマ」の座に就いた経歴の持ち主です。つまり、「自分の裏がえしのキャラクター」に、『あまちゃん』の小泉今日子は扮しているわけです。
しかも、春子の娘であるアキは、太巻がプロデュースするGMTというアイドルユニットに加入します。ネーミングからもわかるとおり、GMTはAKBをモデルとしています。小泉今日子は、秋元康とともに「アイドル歌手」を終わらせた当事者でした。そういう彼女の演じる春子が、秋元康が新しく生みだした「地元密着型グループアイドル」に娘を参加させる――現実世界の「歴史」を「借景」にすることで、『あまちゃん』はその魅力を何倍にも膨らませています(注5)。
『あまちゃん』が現実世界から引用した「背景」はそれだけにとどまりません。いうまでもなく、もっとも重要なそれは「震災」です。
※「『あまちゃん』が描いた復興と女たちの“自分探し”」につづく
※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました
注1 1986年に公開された『メガゾーン23』というアニメ映画があります。この作品の舞台は2400年代、登場人物たちは巨大な宇宙船に乗って放浪しています。ただし、ほとんどが洗脳されて「1980年代の東京に住んでいる」と思い込まされています。その理由は「それがもっともいい時代だったから」です。こういうアニメが作られるほど、1980年代の好景気は同時代人にとって「嘘みたい」でした
注2 「再生への希求」をバックボーンとする「昭和ノスタルジー」の来歴は、円堂都司昭『戦後サブカル年代記』(青土社 2015)が詳述しています。『ALWAYS三丁目の夕日』と『エヴァンゲリオン』における「夕日」と「ノスタルジー」のかかわりを、市川真人が分析しているのも参考になります(『芥川賞はなぜ村上春樹にあたえられなかったか』幻冬舎新書 2010)。樋口真嗣(『エヴァンゲリオン』のスタッフだった)が監督をつとめた映画『日本沈没』(2006)でも、「夕日」と「懐旧」はむすびつけられていました。なお、この種の「昭和ノスタルジー」については、宇野常寛が『ゼロ年代の想像力』(ハヤカワ文庫 2011)などで批判しています
注3 中国でも、1980年代生まれの若者が、自分の生まれたころのテレビ番組を観てもりあがるという現象が起きています。この事実をもとに、原田曜平は「将来への不安」だけが、日本の若者の「ノスタルジー志向」の原因ではないと指摘しています
参照URL:
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20120105/1039195/
注4 「小泉今日子ディレクター・田村充義インタビュー」(『80年代アイドルカルチャーガイド』洋泉社 2013)
注5 『あまちゃん』に小泉今日子がキャスティングされることは、かなり早い段階で決まっていたようです。このため、春子のキャラクターには、小泉今日子自身の経歴が反映されているといわれます
「国民的ドラマ【『あまちゃん』】が踏み込んだ芸能界タブー」
参照:サイゾーpremium
http://www.premiumcyzo.com/modules/member/2013/09/post_4489/
助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)
1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など