「ユミさん」は、子どもたちのなかでいちばん幼い――親にあらがう力の弱い――小泉今日子を、マスコットにしていたようです(小泉今日子の容姿がかわいかったせいもあるでしょう)。ファンキーな要求をしてくる「ユミさん」を、小泉今日子が受け入れる――それが小泉今日子とその母親の関係でした。
小泉今日子が「ユミさんのお母さん」になったのは、十七歳のころだったと書かれています。けれどもそれよりずっと前から、小泉今日子のほうが「ユミさん」の自己主張を受けとめる立場にありました。子どものアピールにいちばん耳を傾けてくれるはずの「母親」が、小泉今日子にとってはいないも同然だったのです。その影響で小泉今日子は、「自己主張を我慢する子ども」になりました。
大人になってからも小泉今日子は、「自分自身の主張」に気づくことがなかなかできなかった模様です。彼女は書いています。
<二十五歳の時、私は、生まれて初めて、自分に誕生日プレゼントをあげた。(中略)今よりもっと若い頃の私は、自分に完璧を求めていたのかもしれない。知らない事が恥ずかしい。出来ない事が恥ずかしい。心配されるのが恥ずかしい。そんな気持ちを大人達に気付かれないように、無口な私がそこにいた。
初めて自分にプレゼントをあげた頃、私は、ある意味で自分の事を諦めたのだ。それまでは、宙に浮かんで、頭の上の方から客観的に自分を見ていた。幽体離脱した人が、自分の肉体を見ている様な感じ。上から見ていると周りはよく見えるけれど、自分の中身がよく見えない。心の中の痛みなんか見えないからほっぽっておいた。何がきっかけだったのか、もう忘れてしまったけれど、二十五歳の誕生日を迎える頃、私の魂は肉体に戻っていた。内側から見る世界は、宙の上から見るよりも、ずっと広くて大きかった。そして、私は、しばらくほっぽっておいた、自分の中の小さなキズ達に気付いてしまった。ごめんね。優しくするからね。って事で、プレゼントをあげたのだった>(注3)
「宙の上から自分を見るまなざし」は、「ユミさん」の要求にこたえようとする「ユミさんの母親」の視点です。そこに身を置いていたために、自らの心身の声を、小泉今日子は二十五歳まで聞きとれずにいたのでした。