小泉今日子は、三人姉妹の末っ子でした。「女ばかりのきょうだいのいちばん下」は、一般的にはわがままが許されやすいポジションといえます。家族のなかでは最年少。かといって、とくに優遇される可能性のある「跡とり息子」は家にいません。

 にもかかわらず小泉今日子は、異常なまでに自己主張を控える子どもだったようです。

<私は、案外引っ込み事案な子供だったんだと思う。言いたいことを上手に言えない子供だった。感情表現がヘタクソだったと思う。でも親からは手のかからない子だったという評価だった。でも地味に主張してたんだなこれが。大人になった今気づいたことは、食べ物の好き嫌いについて。(中略)子供の頃の偏食、あれは一種の甘えだったってことに。私は末っ子よ、年のわりにはしっかりしてるかもしれないけど、いちばん小さい、いちばん子供の末っ子なのよ。わかってぇ! 気づいてぇ! かまってぇ!っていう自己主張。結構大きくなるまでおねしょ癖が直らなかったのも自己主張! 夢遊病だったのも自己主張!>(注1)

 筆致は軽妙ですが、「手のかからない子」を必死で演じるあまり、神経症気味だったことがうかがえます。

 幼少期の小泉今日子は、どうしてストレートに自己主張できなかったのでしょうか? そこには、母親との関係が影響していたようです。

<ユミさんは優しいお母さんだったけれど、友達のお母さんと比べるとお母さんっぽくない人だったかもしれない。(中略)幼い日の私の写真を見ると、たいがい超ミニのスカートを穿いている。これもユミさんのセンスで、「キョウコの足はキレイなカタチをしているから」と、親バカ発言をしながら、もともとミニスカートなのに、さらに裾あげされてパンツが見えないギリギリの丈にされていたのである。髪型もそうだ。小学生なのにパーマをかけさせられたり、モンチッチみたいな超ショートカットにされたり、私はいつも、ユミさんの動く着せ替え人形のように遊ばれていた。別に嫌ではなかった。むしろ好きだった。私が最初に憧れた女性はユミさんだったと思う。母親というより大人の女性として素敵だと思っていた。でも、いつの日からか私がユミさんのお母さんみたいになっちゃった。

 十七歳の時だったと思う。原宿のマンションにユミさんが泊まりに来ていた。キッチンで洗い物をしながら私はユミさんの愚痴を聞いていた。ユミさんは自分の感情に素直な人だから、よく泣いたり怒ったりする。私はいつも黙って聞いてあげる。そうすると「あんたは私のお母ちゃんみたいだね。お母ちゃんは割と大柄な人だったから姿は全然似てないんだけど、なにかがすごく似てるのよ」って、ユミさんが言う>(注2)

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