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原宿百景
小泉今日子著/写真・若木信吾
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 どうすれば小泉今日子のように、齢とともに魅力を増していけるのか―― その秘密を知ることは、現代を生きる私たちにとって大きな意味があるはず。

 日本文学研究者である助川幸逸郎氏が、現代社会における“小泉今日子”の存在を分析し、今の時代を生きる我々がいかにして“小泉今日子”的に生きるべきかを考察する。

※「小泉今日子はなぜ太宰治のファンで、三島由紀夫をきらいなのか」よりつづく

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 小泉今日子は、太宰治に共感し、三島由紀夫には反発します。太宰と三島の違いは、どこに由来するのでしょうか? ひとつの理由だけから説明しきれませんが、「生家での立場」の影響は大きかった気がします。

 三島の父親は農林省の官僚、太宰の実家は津軽の大地主です。どちらも一般の庶民から見れば「いい家」の生まれといえます。ただし、三島は「跡とり息子」であるのに対し、太宰は六男(11人きょうだいの10番目)でした。津軽地方では、長男とそのスペアである次男だけが、他の子どもより大切にされていました(たとえば太宰のきょうだいでは、長男と次男だけに個室が与えられていました)。太宰自身、自らの生家における立場を「津軽の『オジカス(=よけいものの叔父さん)』」と自嘲しています。

「跡とり息子」だった三島由紀夫は、「家族が自分に期待する役割」を、いつも感じながら育ったはずです。「注目を集めている状態」が、子ども時代の三島のデフォルトだったのです。自分を見せびらかすような筆致も、「目立つ役割を演じること」が、幼時からの習性だった点におそらく由来します。

「よけいな子」であった太宰は、三島と育ち方が異なります。黙っていては自分の主張が通らないうえ、口論や腕っぷしでは、周りが年上ばかりなので勝てません。そうした環境で「居場所」を確保するには、時々の状況を見極め、「最適の振るまい」を探す必要があります。

 太宰の「世間に対して自分を演じる道化感」は、この「『いらない子』に特有の環境」から生まれたものです。「自分が今、どう振るまうべきか」を客観的に見極める。幼時からそれをくり返した結果、「他人の日記」と「過去の自作」を、おなじ冷徹さで眺めるまなざしを得たのです。

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