「大洋漁業が捕鯨目的で貸し出しを希望したのは捕鯨に適したスリップウェイのついた船でした。旧軍側も、捕鯨に約4万トンの『長門』を民間漁業会社に貸し出そうとしたのは、何らかの“意図”があったとみるのが当然でしょう」
その意図とは、米軍からの接収を免れることだ。戦後解体された旧軍が復活した際、そこには「旧軍からの伝統継承者」としてのシンボルが必要となる。その役割を「長門」に背負わせたかったのではというのが前出の1等海佐の見立てだ。
事実、戦後の海上自衛隊では山口県平郡島北岸沖に沈んでいた旧駆逐艦「梨」を引き揚げこれを修復、護衛艦「わかば」とその名を変え、第一線の護衛艦として復帰させた。
今でも発足間もない当時の海自で再就役した「わかば(旧駆逐艦・梨)」乗員の話が自衛隊員たちの間で語り継がれている。
いくら修復したとはいえ10年近くも海中に沈んでいたため、ところどころで発する異音がすさまじい。同型艦もなく、実際の運用では不便極まりない。その評判はかならずしもよくはない。
だが、それでも海自がこの艦にこだわったのは、「われこそは旧海軍の正式な伝統継承者なり」という自負であることは想像に難くない。
そのためか旧駆逐艦「梨」の乗員で、戦後、海自に入隊した者は優先的に、「わかば」への乗り組みを命じられたという。戦前「梨」に乗艦した主計兵は、戦後の「わかば」では補給長として乗り組んだ。