延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー (photo by K.KURIGAMI)
延江浩(のぶえ・ひろし)/TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー (photo by K.KURIGAMI)
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 TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽とともに社会を語る、本誌連載「RADIO PA PA」。今回は前回に続き、桐島かれんさんについて。彼女が明かした母・洋子さんとの思い出とは?

【写真】白シャツ姿が素敵な桐島かれんさん

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 桐島かれんは周囲から好奇の目に晒(さら)された。妹のノエル、弟ローランドと父親が違うと根も葉もない話も聞こえてきた。

「母の桐島洋子は大島渚とTVにも出ていたから好奇の目はなおさら。私はガイジンと言われ、スクール水着も買ってもらえない。アメリカで買ったテントウムシ柄のビキニが先生に怒られ、母に懇願してデパートまで行ったんだけど、シンプルな紺の水着を見て、『こんな地味なもの買う必要はないわよ』」

 言葉に関する美意識も母は徹底していた。

「ただいまではなく、『ただいま帰りました』としつけられ、『だって……』から始まる言い訳も厳禁。『これから洋子さんとお呼びなさい』とも」

 美意識は時として奇妙にも感じられた。

「ピアノにはレースではなくインドの布。ベトナムのアオザイを着るなり『さ、買い物行くわよ!』って言われると、あーあ、友達に会ったら恥ずかしいなって。母はディズニーランドとかそういうお子ちゃま的なところが嫌い。私が結婚して孫ができても抱っこもしない。でも料理は上手。料理にまつわる本もあるくらい。チーズフォンデュやクスクスを作ってくれて、今思えば、母が桐島洋子だからこその貴重な体験でした」

 その本のタイトルは『聡明な女は料理がうまい』。70年代のベストセラーである。

 一家は1976年、ニューヨークへ渡る。裕福な白人の住む場所で、「アジア人への免疫がないから私は黒髪を触られ、自分の名前“Karen(かれん)”の“r”の発音ができず笑われたり、バスケットボールで点を入れると、“チャイニーズ・ゴー・ホーム”って囃(はや)されて落ち込んだり。日本ではガイジン、こっちではチャイニーズと呼ばれる。本当のアメリカを見ることができました」

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