12年の年明けから誘致活動がスタート。2月には清水監督らが視察に訪れた。しかし、その時は折しも大雪で、市内の球場は「一面が雪に覆われていた」(清水監督)という。そこで市側は雨や雪の日の練習場所として、兵庫県立但馬ドームを提供するとし、雪が解けた4月には野茂さん本人も球場やドームなどを視察、移転を決めた。

 5月に開かれた市との共同会見で野茂さんは、豊岡を選んだ理由として、年中野球ができる環境があることや、市や地元の人々の熱意、加えて市が進める「コウノトリのプロジェクト」を挙げた。

 兵庫県と同市は、71年に絶滅した国の特別天然記念物、コウノトリを人工飼育し、野生に返す取り組みを続けている。野茂さんは「私たちも選手をプロ野球選手でなくても立派な社会人に育てたいと思っており、共感を覚えた」と話した。4月の視察の際に事業の拠点施設である県立コウノトリの郷公園を訪れた際も、熱心に説明を聞いていたという。

 また、同市は、エベレストをはじめとする5大陸最高峰の登頂などに成功した冒険家、故植村直己氏の出身地でもある。困難に挑戦し続けた偉大な冒険家を生んだ土地は、海を渡って野球人生を切り開いていった野茂さんが再スタートを切るのにぴったりだったのかもしれない。

 こうしてNOMOベースボールクラブは豊岡に移転した。市側は移転の交渉の中で、選手が生活費を得るための仕事先として、城崎温泉の旅館を確保。現在クラブに所属する選手26人は、午前8時半から午後1時ごろまで練習をして、夕方からそれぞれが働く旅館で、客の送迎や布団の準備などの仕事に取り組んでいる。

 野茂さんは会見で「1人でも多くプロ野球選手を輩出し、少しでも永く豊岡市で活動できるように頑張りたい」と語った。選手たちもコウノトリのように、豊岡からプロ野球界、ひいては社会に羽ばたくことができるのか。

(ライター・南文枝)

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