記者発表で握手する野茂氏(右)と中貝市長(豊岡市提供)
記者発表で握手する野茂氏(右)と中貝市長(豊岡市提供)
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市を挙げて野生復帰に向けた取り組みが進められている国の特別天然記念物・コウノトリ(豊岡市提供)
市を挙げて野生復帰に向けた取り組みが進められている国の特別天然記念物・コウノトリ(豊岡市提供)

 2014年1月に、45歳で史上最年少の野球殿堂入りを果たした、元大リーグ投手、野茂英雄さん。しかし、東京の野球殿堂博物館で行われた表彰式を欠席。理由は自身が代表理事を務める「NOMOベースボールクラブ」主催の少年野球大会「NOMO CUP」を翌日に控えていたためだったことから、話題となった。

 兵庫県北部に位置する豊岡市。志賀直哉の短編小説「城の崎にて」の舞台にもなった城崎温泉が有名な、人口約8万人の地方都市だ。ここに、NOMOベースボールクラブはある。

 NOMOベースボールクラブは2003年に、大阪府の堺市で設立され、2013年に、ここ豊岡市に本拠地を移した。日本海沿いにある同市は雨が多く、冬は約1メートルの雪が積もることもある。野球をやるには最適な環境とはいえないこの街が、なぜクラブの拠点に選ばれたのだろうか。

 95年の大リーグ・ドジャースへの移籍から数年が経った02年。アメリカ独立リーグの日本人選手のトライアウトに立ち会った野茂さんは、多くの才能ある若者が野球をやる場所を求めて奮闘しているのを知った。そんな若者たちの受け皿をつくろうと、新日鐵堺時代の先輩、清水信英さんに相談し設立したのが、NOMOベースボールクラブだ。

 清水さんは監督に就任。設立当初から注目され、05年は都市対抗野球出場、全日本クラブ野球選手権優勝、06年には社会人野球日本選手権に出場するなど、華々しい戦績を重ねた。

 だが11年に入り、練習拠点としていた新日鐵堺の球場が高速道路の建設用地となり、年内で使えなくなることが明らかになった。移転を余儀なくされたクラブの新たな受け入れ先として、年末までに、佐賀県鳥栖市や千葉県柏市などが候補に挙がったが、球場の使用条件などで折り合わず、実現しなかった。そんな時、清水監督の知人を通じて移転先として浮上したのが豊岡だった。

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