宮沢りえは昨年、7年ぶりで出演した映画『紙の月』で、2度目の日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得しました。ふとしたことで横領に手を染め、真面目ひと筋の人生から享楽の世界に傾いていく銀行員・梅澤梨花。それがここでの宮沢りえの役どころです。時にはおびえたように従順。別のある時には怪物的欲望をむき出しにする。それでいていかなる場面でも、「生活臭」のようなものはみじんも匂ってこない――宮沢りえの「梅澤梨花」は、『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイに似ています。

 骨の髄まで「普通の人」とちがっているので、役に没入すればするほど「生身の人間」から遠ざかる――宮沢りえは、そういう女優です(演技している彼女が、漫画やアニメのキャラクターを連想させるのもこのためでしょう)。「スポイルされた存在」を演じたときの説得力は、それだけに比類ありません。

 小泉今日子のように、状況に応じてキャラクターを変えられる女優が、長く一線にいられるのは誰しも納得できます。それにくらべると、不動の個性を持った宮沢りえは、活躍の幅が限られるのではないか。一見したところそんな風にも思えます。

 1992年、宮沢りえは大相撲の花形力士だった貴花田(のちに貴乃花)と婚約しました。しかし、わずか二カ月後に破局。そのあと数年は、摂食障害を患っていると噂されたり、自殺未遂事件を起こしたり、苦難に見舞われつづけました。

 恵まれない幼少期を送った「天才少女」が、心の欠落を埋めるため、必死に「他者からの評価」を得ようとする。その結果、若くして大スターになるが、愛情への飢えをコントロールしきれず、活動に支障をきたす――マリリン・モンローや中森明菜が陥った「悲劇の袋小路」に、宮沢りえも足を踏み入れたのではないか。1990年代後半には、それが一般の見方でした。

 そうした評価に抗って、世紀の変わるころ、宮沢りえは「本格女優」として「復活」します。2001年には、香港映画『華の愛~遊園驚夢』でモスクワ国際映画祭主演女優賞に輝きました。『たそがれ清兵衛』での好演によって、2003年の日本アカデミー賞主演女優賞も手にします。「人気はあるが、代表作がない」という長年ささやかれてきた批判(注4)は、完全に封じこめられました。

 宮沢りえは、マリリン・モンローたちと、どこがちがっていたのでしょうか?

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