2000年に京都国立博物館で開催された大回顧展をきっかけに“若冲ブーム”がきたといわれている画家の伊藤若冲。「好きな画家は?」と質問されて、欧米人ならフェルメール、日本人なら若冲と答えるのが何となくかっこいいという風潮も続いており、強烈な色彩と、輪郭のくっきりした作品は、商品デザインや音楽のビデオクリップなどにも頻繁に使用されている。
一方、俳人であり画家でもあった与謝蕪村。「菜の花や月は東に日は西に」という俳句が有名だが、絵師としての才能にも恵まれ、中国の文人画の技法による山水図や俳画を得意とした。同時代に活躍した池大雅(いけのたいが)と並ぶ文人画家としてもその名を馳せたという。
作風も生き方(若冲は京都生まれでもともと青物問屋が本業、蕪村は大坂出身)も異なる二人だが、共に正徳6(1716)年に生まれ、40歳頃から京都で本格的に画家として活動を始めた。さらに、ご近所さんといってもいいほどの近距離に居を構えていたらしい。
それでは二人の天才は交流をしていたのか?
「それが不思議なことに、若冲と蕪村の交友録は資料を探してみても今のところ一切見当たらないのです」
と話すのは、現在『生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村』展を開催中の、サントリー美術館学芸部長の石田佳也さんだ。
「『平安人物志』という、江戸時代に京都で活躍した文化人・知識人を紹介した文献には、二人が同時代に活躍した画家として名を連ねています。それだけでなく、円山応挙や上田秋成といった共通の知人がいたことや、二人が現在の京都の四条烏丸近辺で、半径200メートル以内というかなり近い距離に居を構えていたという記録もあります。これほど多くの共通項があるにも関わらず、お互いの存在を知らなかったとはまず考えにくいでしょう。実際に会ったことはなかったかも知れませんが、むしろ才能を認め合い、意識をし過ぎていたからこそ会わなかった、という見方のほうが自然といえます」
若冲といえば、緻密に描かれた鶏や、目の覚めるような極彩色に彩られた花々、野菜を擬人化したユーモラスな作品まで、その作風は多岐にわたる。一方、蕪村は『山水図屏風』などの情感溢れる水墨画や、俳句と絵が響き合う俳画といった味わい深い作品が多い。
一見すると全く異なる作風であり、色使いや技法などにも共通項の見えない二人だが、当時流行していた中国人画家、沈南蘋(しんなんぴん)の影響を共に受けているとの指摘もある。同じ年に生まれ、同じ時代に絵師として活躍したことを考えれば、国内外を問わず、同じ才能に触れ、学んだであろうことは想像に難くない。
若冲と蕪村の生誕300年を記念して開催されている同展は、人物、山水、花鳥など同じモチーフを描いた両者の作品を、実際に比較できるような展示をした企画展である。
「たとえば、水墨画を見比べてみると面白いかも知れません。若冲は輪郭がピリッとアクセントが効いていて明快な構図で描いていますが、驚くほど技巧をこらした作品が多い。対して蕪村は輪郭が歪んでも気にせず、たゆたうように線を描いていますが、やはり俳人として繊細なニュアンスを画面に漂わせています」(石田さん)
同じ年に生まれ、共に京都で活躍した二人の天才絵師、若冲と蕪村。同じテーマをそれぞれがどう描いたのかみるだけでも興味深いが、記録にはない二人の関係を想像してみるのも一興かもしれない。
(ライター・小池タカエ)
■展覧会情報
『生誕三百年 同い歳の天才絵師 若冲と蕪村』
会期:2015年3月18日(水)~5月10日(日)
サントリー美術館
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2015_2/index.html